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先物取引会社に勤務した三ヶ月の思い出

   

履歴書から消去された歴史

みなさん、転職活動時などに履歴書・職務経歴書を書かれるかと思うのですが、自分の経歴をすべて書いていますでしょうか?

なかには、書きたくない経歴を持っている人もいるかと思います。短期間でやめてしまった場合や、評判の悪い会社で働いていた場合、書きたくなくなるのではないかと思いますが、私にも、履歴書からは削除している「無かったことになっている経歴」があります。

このブログは匿名で、誰かにバレて困るということもありませんので、今回はその経歴について書こうと思います。

その、人に言いたくない経歴は、先物取引(商品取引)の会社に新卒で勤めた経歴です。しかも、三ヶ月で辞めています。

先物取引というと、2chの就職ブラックランキングに常時上位に位置づけられています。先物取引企業に勤めていた時、部長が言っていましたが、「昔は先物取引の営業に地方を廻ると、役場の放送が鳴って、町民に警戒するよう呼びかけれられた」そうです。なかなかとんでもない存在ではないでしょうか?

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なぜ先物取引企業に就職したのか?

私はそこそこいい大学に入学しました。同学年の友達は、名前の通っている有名企業に大半が就職しています。それなのになぜ私は先物取引企業に就職をしたのでしょうか?

それは、面接が怖かったからです。就職活動が始まるまで、ほとんど会話らしい会話をしなくて済む、だらしのない暮らしをしていました。それが、いきなり集団の中で自己紹介をして志望動機を述べることになります。全く適応できませんでした。

2、3社の面接を受けて、落ち、心が折れた私(受ける企業数が少なすぎかと思われそうですが、当時は2chなどで情報交換をする習慣もなく、友人も極めて少なかったので、就職活動に関する一般的な情報を持っていなかったのです)は、誰でも受かるという噂の商品取引企業の面接に行ってみました。とりあえず、何でもいいから決まって欲しいという心境だったのです。

噂にたがわず(?)先物取引企業は、受験者に優しかったです。こちらが入社を志望する、というより、向こうが大学生に営業をかけて入社させようとしてくるのです。

入社後に知りましたが、その先物取引企業は、毎年50人ほど入社させますが、3年後も勤務しているのは1割以下だそうです。どんどん人が辞めていくのだから、それを補うためにとにかく数を取る、という感じでした。

個々の入社希望者の適性をチェックするといったことは全くありませんでした。そういうわけですんなり入社試験に合格し、私はとりあえず卒業後の進路を確定させたのでした。

対人恐怖症的な症状を持っていたのですから、人と接することの少ない職種を探すべきだと今なら考えるのですが、当時は就職活動が嫌すぎて、対人恐怖症者にもっとも向いていない職業に、勢いで進路を決めてしまったのでした。

一応、就職先を決め、一安堵しましたが、先物取引企業で勤めることを考えると、暗い気持ちになります。単位を取り終わってやることもなくなっていたのもあって、アパートに閉じこもって、アル中モードに突き進んでしまいました。

アル中時代の思い出

悲観的にくよくよ考えることが得意な私は、入社前に紀伊國屋書店に行って、先物取引関係の判例集を買って読んでしまいます。そこには、各種の法令違反が記載されており、私が働く予定だった企業の判例もたくさん載っていました(裁判では負けまくっていました)。

中には、損をさせられた客が怒って、先物取引企業の社員を殺してしまうという事件も載っていました。さすがに違う企業の事件でしたが・・。

この各種法令の本を読んで、こんなブラックな職種だとは知らなかった、やっぱり入社は止めにすると言いに行こうと私は考えました。その本を持って、人事部長に会いに行き、入社したくない旨を述べに行きましたが、向こうは百戦錬磨の大人です。うまく言いくるめられて、結局入社することになりました。

入社式後、すぐに新人研修が始まる

4月1日に入社式が終わった後、そのまま新人研修の地へ移動しました。同期は約50人で、営業希望は全員男です。

新人研修が行われたのは、千葉の海沿いのホテルでした。そこで2週間泊まり込みで研修を受けます。当時は2000年を少し過ぎたあたりでしたが、以前は新人研修を一ヶ月以上やっていたそうです。

同期の人間と話すと、私が一番高学歴でした。私のように対人恐怖症的な人間は少なく、Fラン大学だけど肝は座っている、という人間が多かったです。ある程度、先物取引企業のきつさを予期して受け入れている感じでした。すでに学生結婚していて子どもがいて、すぐにでも稼がなければならないという同期社員もいました。

しかし、人事が逆に学生に営業をかけて、集めた50人です。中にはかなり変てこな人間もいました。挙動不審できちんと話せず、どうしようもない男に思われた某君は、新人研修後実家に帰って、そのまま戻ってきませんでした。

新人研修でどんなことをしたのか?当時からすでに15年経った今、具体的なことはあまり覚えていません。先物取引の基礎知識や、一般的なビジネスマナー(名刺交換やお辞儀の仕方など)について講習を受けた記憶があります。

一つはっきり覚えているのは、雰囲気です。少しでもミスがあると怒鳴られ、深夜まで詰められ、朝は5時に起床。異様に抑圧的な生活をおくらせることで、新人たちの学生だったマインドを企業戦士に設定し直すような感じでした。

この動画のピリピリした雰囲気が私の記憶に近いです。論理的に考える、よりも気合重視、気持ちでどうにかするという感じでしょうか。

東京に配属され、働き始める

2週間の新人研修ですでに一人退職してしまいましたが、残ったメンバーは各地に配属され勤務が開始されました。北は北海道から、南は福岡まで支店があったと思います。

私は東京に配属になり、社員寮に入りました。

朝は、みな7時には会社にいる、という決まりでしたので、社員寮に住んでいた社員は、皆毎朝5時には起きていました。朝7時に会社に行って机の上や灰皿を拭いて、掃除をします。

8時には営業を開始していました。営業は基本的に電話で行います。以前、昼間に電話をかけ、見込みがありそうだと思った顧客に朝8時から、一斉にクロージングの電話をするのです。

電話の第一声は、「大変なことが起きてしまいました」でした。原油がものすごく上がっている、今買わないと一生に一度のチャンスを逃す、そんな意のことをハイテンションで電話するのです。

皆が大声で電話すると、自分の電話に他の社員の声が入ってしまいます。なので、それを防ぐために、机の下に潜り込んで電話をしている社員もいました。

私が勤務していた先物取引企業は、今がものすごいチャンスである、ということを煽りまくって成約に持っていくという営業スタイルでした。各種商品(原油、米、とうもろこしなど)の特性を学んで、市場を分析して、論理的な売買を持ちかけるということはありませんでした。焼畑農業のような、客を食いつぶしていく営業スタイルです。これなら、仮に先物取引を始めてくれる客が見つかっても、相場に対する分析力がゼロのままなので、客は損して退場することになってしまいます。

後、なぜか営業は必ず、「買い」注文を勧めていました。商品価格が下落するから「売り」を勧めるというパターンはありませんでした。当時から奇妙だと思っていましたが、なぜそうなのかは聞けませんでした。

phone

9時くらいまでこのようなハイテンションの電話をかけた後は、通常のテンションで見込み客探しの電話をします。電話をする相手は、電話帳に載っている番号であることもありましたが、名簿屋から購入した番号であることも多かったです。

名簿は、先物取引経験者を集めた名簿だったり、有名大学卒業生の名簿だったりしました。

先物取引の営業をするには、証券外務員という資格が必要です。入社してすぐの時には、まだ試験が行われていませんので、新人はみな無資格で本来営業してはいけない状態です。

しかし、当然のように私たち新人も証券外務員資格取得前から営業電話をしていました。ただ、無資格で営業していることがバレるとまずいので、資格を持っている先輩社員の名前を騙って電話をしていました。なので、先輩の名前で見込み客を見つけ、後日、先輩がクロージングの電話を朝一で入れると「声が違う、話し方が違う」と客に言われることもあったようです。

新人は、朝から晩まで電話して、見込み客を探します。どんなトークをしていたのか忘れてしまいましたが、先物に興味がありそうな人を見つけて、その後は先輩社員に成約まで持って行ってもらうという段取りでした。

新人の帰宅は、夜の7時くらいでした。といっても、朝7時には出社しているので12時間会社にいるわけでへとへとになります。先輩社員は21時くらいまで残業していたようです。というのも、営業をかける相手も、たいていは昼間仕事をしているので、夜にならないと電話に出てくれないからです。残業代はついていないようでした。

ホームページに顔と名前が載るのが嫌で辞める

証券外務員資格を受験し、いよいよ自分の名前で営業できる日が近づいてきました。

会社は、茅場町の辺りにありました。なので、昼食は会社から出て外食をしていました。こういう時、同僚と語り合って、会社の愚痴を言い合ってしまうものです。それを防ぎたかったのか、入社後1ヶ月で昼食を外でとることが禁止になってしまいました。

朝から晩まで息抜きができる時間がありません。

当時は、今と比べると企業がインターネットを利用するやり方がバラバラでした。私が勤務していた企業は、個々の営業マンの名前と顔写真をウェブサイトに掲載していました。損をした客に恨まれて刺されることもある業界なのになぜそんなことをするのかと思いましたが、そういう慣習になっていました。

私が証券外務員を取得すると、ウェブサイトに顔と名前が出てしまいます。ググると私を見つけることができるでしょう。私はそうなることが、恥ずかしくて嫌でなりませんでした。

また、入社して2ヶ月あまり電話をかけて、やっぱり自分には営業の才能がないことがわかってきました。このまま先物取引企業で働いていても、うまくいく見込みはありません。

そこで、会社を辞めることにしました。今となってはなぜそうしたか思い出せないのですが、普通に退職したいと言っても駄目だと思ったのか、私はある朝、社員寮を出た後、会社に行かずに外でブラブラしていました。当然、上司から電話がかかってきます。なぜ来ないのか聞かれて、「辞めたい」という意のことを言うと、上司は怒って、すぐに辞めるように言いました。

その日の昼には退職の手続きがすべて終了していました。社員寮からはすぐに出て行くように言われました。偶然、その年の春から弟が上京してきており、私は彼のアパートに転がり込みました。

期間工を始めて、労働の楽しさを知る

弟のアパートに同居させてもらって、夜は派遣社員として工場で働く生活を始めました。先物取引企業のようなぴりぴりした雰囲気はなく、普通の工場でのライン労働でした。

「大学を出て、卒業したばかりの人間が働くところではない」と年配の同僚に言われましたが、ラインで組立て工をするのは体はつらくても、精神的には全くつらくなく、初めて「自分も社会で働けるんだ」と思えたのでした。

その後、3年ほど派遣工を続けて、やっぱり何か専門知識のある正規社員として働きたいと思うようになりました。事務職員として働き始めた後も、ステップアップを目指して数年おきに転職活動をしました。

その時、新卒後、すぐに辞めた先物取引時代のことは無かったことにするようにしました。やはり体裁が悪いですし、なぜ働き始めて、なぜすぐに辞めたのか、かっこいい説明ができそうもありませんでした。

経歴を偽って書いても、企業側はそれが嘘だとはわかりません。なので、私は先物取引時代を無かったものとして扱い続けました。ただ、年金記録を出せと言われると焦りました。なぜなら、厚生年金の記録には所属している企業名が記載されるからです(この制度はプライバシーの問題に抵触するので、正直やめてほしいです)。

ネットで生き続ける先物板

私が勤めていた先物取引の企業は、その後潰れてしまいました。ネットでカジュアルに株式投資ができるようになったせいもあって、客を潰すような営業をかけていた対面型の先物取引企業が淘汰されるのは当然だと思います。

2chには先物板があります。先物板は、先物投資家が少ないからか、たくさんの先物企業が倒産したからか、古いスレッドがたくさんあります。今見ると、2002年に立ったスレッドがありました。

そこでは、もう存在しない企業の元社員が、在りし日のことを思い出しながら、誰誰は元気か?今どこにいるのか?といったことを書き込んでいます。

年々書き込み頻度は落ち、意味のある書き込みは減っていっていますが、なぜかスレ自体は落ちずにいつまでも残っています。

眠れない夜、私は元勤務先のスレッドを読んで当時怖かった人事部長や支店長を思い出すことがあります。実際にあった出来事だったのか夢の中の出来事だったのか、2chの意味不明な書き込みを読んでいると、当時のことがよくわからなくなってきて、いつの間にか眠りに落ちています。

 - 思い出話

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