youtubeで過去のTV映像を以前より簡単に見ることができるようになった。80~90年代の映像を見ると、当時の日本人は今より自分達に自信を持っていて、活き活きしているように見える。
たとえば風雲たけし城に出演している一般人を見ると今の日本人よりずっと堂々としている。
私個人の記憶を探っても、当時の日本人は今より全能感を持って生きていたように思う。日本人の自己認識についての統計推移があれば引用したかったが、見当たらなかった。単年の国際比較では、日本の若者は他国の若者より低く自分を評価している。
平成25年度の「自分自身に満足しているかどうか」についての回答を見ると、「そう思う」の比率は、
日本 7.5%
韓国 29.7%
アメリカ 46.2%
英国 39.8%
ドイツ 29.1%
フランス 30.9%
スウェーデン 21.3%
となっており日本人の若者の自尊心が突出して低い。ただし、自分は役に立たないと強く感じるかどうかの回答では、日本人が突出してそう感じているわけではない。(元データはこちら)。
比較的内心が素直に発露される、インターネットの匿名の発言を見ていても、多くの書き込みに自己卑下が見られる。2chのなんJ文化には特に強くそう感じる。
低い自尊心は、挑戦する気概を失わせ、社会に沈滞をもたらし有害である。
なぜ日本人の自己卑下意識が強まったのか、自尊心が下がったのか、原因として考えられるものを挙げていきたい。
経済の衰退と所得の減少
経済が衰退し、活気が失われ、個人の収入が下がり、中国などにもGDPで抜かされたことが一つの原因として考えられる。
金が無いと自分を無能だと感じてもおかしくない。貧乏は未婚にもつながる。未婚者が既婚者より自尊心を保ちやすいとは思えない。
未婚率の増加
性的なパートナーがいないことや未婚であることは自尊心の低下につながると私は考える。自ら主体的に独身であることを選ぶのであれば問題はないだろうが、結婚を望んでいるのにできていない場合、自己評価は下がるだろう。
放送内容の変化
最初に書いておくと、日本の地上波TVには日本人の価値観を微妙に変えさせるような巧妙な工作が存在すると私は疑っている。
たとえば、毎日のテレビ放送で、挑戦する人間をあざ笑ったり、見た目がよくない人間を笑いの対象にすることは価値観の変化をもたらす。無知なタレントをもてはやせば、無知であることが素晴らしいことであるかのように錯覚される。
今のネットで見られる「ただしイケメンは除く」のような言い訳フレーズを見ていると、今の日本人は美男美女以外はダメだと思いこんでいるような節がある。かつてはこのような言説は今ほど多く見られなかった。安全地帯の楽曲はすばらしいと思うが、今、安全地帯がデビューしたとして80年代と同様にヒットするだろうか?
他に、日本のかつての行為が他国から非難の対象になっているというニュースを繰り返し流せば、歴史認識においても自分たちを高く評価できなくなる。
報道の変容について、吉田康一郎氏が興味深い考察をしているので引用したい。
最近の様々な報道や言論を見ていて、非常に大きな問題を感じる。
それは、正当な「怒り」に対する、「あってはならないもの」「劣った感情」であるかの様な取り扱い、「怒り」を持たない事を賞揚する様な取り扱いである。…https://t.co/bevyOCnlPO— 吉田康一郎 (@yoshidakoichiro) 2017年11月2日
例えば、家族が理不尽に殺され奪われた時に、「犯人を許す」事ばかりを美化し賞揚する。そして犯罪者に峻厳な刑罰を求める被害者は「心の劣った人」であるかの様に取り扱う。
この様な社会的誘導は、日弁連をはじめとする左翼組織と既存メディアが主導している。— 吉田康一郎 (@yoshidakoichiro) 2017年11月2日
この誘導は、外交・安全保障政策に直結している。
即ち、東亜・太平洋戦争における連合国側の国際条約違反の非人道行為への報復感情を喪失させる事、国益の侵害に対して正当に「争う」事を阻止する事、そしてそれは今、日本の領土を占領し、占領を企図し、国民を拉致し、不当な歴史の捏造により冒涜し— 吉田康一郎 (@yoshidakoichiro) 2017年11月2日
…利益を得ようとする中、韓、露、朝に対し、我が国が正当に国民と領土と財産を守り戦おうとする事を潰す事に繋がっている。
正当な「怒り」を「劣った感情」としようとする「自称良識派」が誘導する先は、他国と犯罪者が暴虐のやり得・やり放題となり、日本と被害者が泣き寝入りを強要される世界だ。— 吉田康一郎 (@yoshidakoichiro) 2017年11月2日
我が国は、古来、「約束を守る」美徳が国内に満ち満ちていましたが、先の投稿で指摘した、「犯罪者を許す」事ばかりを賞揚する風潮の蔓延により、かつてに比べ「約束を守る」事への厳しさが社会から失われてきています。… https://t.co/Lu2JGh5hh3
— 吉田康一郎 (@yoshidakoichiro) 2017年11月2日
報道が怒りを持つことを抑圧し、許すことを過度に賞賛した場合、自尊心は下がっていくだろう。自尊心と正当な怒りの発露は対になっている。
放送がもたらした価値観の変化にどのようなものがありうるか考えをまとめると
- 協調することを過剰に礼賛する→対立すること、独特であることを恐れさせる
- 怒りの発露、報復を過剰に否定する→正当な怒りの発露をできなくさせる
- 美男美女以外は価値がないと思い込ませる→普通の容姿の持ち主を意気阻喪させる
- 見た目が悪い人間は笑われる対象であると思い込ませる→容姿が悪い人間を自己卑下させる
- 軍事外交のニュースを取り上げないことで軍事外交についての興味を失わせる→戦闘する気概を失わせる
- 努力する人間を否定し、無知・怠惰な人間を礼賛する→努力する人間を減らす
- 陰鬱なニュースを過剰に取り上げて気分を暗くさせる
- 通り魔などのニュースを過剰に取り上げて見知らぬ人との交流を減少させる
若者向けコンテンツの変化
80~90年代のテレビや漫画のコンテンツと比較すると、現代のコンテンツからは暴力や勧善懲悪型の戦闘物が減っているように思う。
戦士的であることは、特に男性にとって、自尊心と関係がある。北斗の拳、キン肉マン、ジョジョの奇妙な冒険、キャプテン翼、ろくでなしBLUESなどを見て育った若者と、妖怪ウォッチ(戦闘なし、努力なし)や宮﨑駿アニメ(価値相対主義、厭戦的)を見て育った若者では戦士度が違うはずだ。
努力を積み重ねることで成功を勝ち取る類の物語も減少している。何も起こっていない日常を描くようなコンテンツが増加している。
これが悪いこととはいえないが、警察の取り締まり等の強化やコンプライアンスの強化により、不良文化が廃れ、違法行為(頭文字Dのような公道での暴走行為など)が減少してきているのも、生活から雄々しさを減少させているだろう。
外交態度、歴史認識の変化
1993年 河野談話の発表(従軍慰安婦に官憲の関与はあった)
1995年 村山談話の発表(日本は大東亜戦争において植民地支配と侵略を行った)
1998年 日中共同宣言(「日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国側は、日本側が歴史の教訓に学び、平和発展の道を堅持することを希望する。双方は、この基礎の上に長きにわたる友好関係を発展させる。」)
1990年代に上述のような自虐史観を強化する談話・共同宣言が発表された。これが歴史教科書や日本の外交態度、放送内容に反映されるようになり、少しずつ日本人の自尊心を削った可能性がある。
他にもいろいろ考えられるがどれも推論の域を出ないので、この辺にしておこう。
上に挙げた要因が複合的に日本人の自信を奪ったように思う。
我々に必要なのは、戦士として戦う文化、セックスの相手、経済的な余裕、非自虐的な歴史認識だ。日本人の自尊心が減退しているという点が疑わしいと思う人は、ユーチューブなどで80年代や90年代の動画を見てみてほしい。
私は多くの日本人に80-90年代時の自尊心を取り戻して欲しい。挑戦する気概、努力する心を取り戻して欲しい。