ユートピアはエントロピーの極大という悪夢である
— 釣崎清隆 (@tsurisaki) 2018年4月27日
物理学にはエントロピーの増大という法則がある。私にとっては、わかったようでいて完全に理解したとは言い切れない法則だ。
私たちが生きる世界にもエントロピーの増大に似た、変化が起こりやすい方向がある。この変化の方向に流されるのはたやすいが、逆らうにはエネルギーを要する。
物理学のエントロピーの法則とは同一ではないが、似ている側面もある。
どのような方向かというと、
多数の差異を持った個体は①混交するか②同一化するか③駆逐され数が減る方向に変化するというものだ。
人種、国籍
私たちはかつて人種ごとにばらばらの場所で生きてきたが、海外移住は年々促進され、異なる人種の人たちが同じ場所に住むようになっている。また異人種間の結婚が進み、人種的な差異が曖昧になっていっている。(混交・同一化)
この逆に世の中を動かすのは難しい。特定の人種を選り分けて隔離し、別の場所で暮らさせることは難しい。異人種間の婚姻を禁止して、各人種の特徴が際だつように変化させるのも困難である。
広い意味での国籍や国家的なアイデンティティーも同様に拡散し混交する方向に変化する。たとえば、世界中に中華系の人たちが拡散し、その土地に住み着くことは起きやすい変化だが、各土地の中華系の人たちをピックアップしてシナ大陸に送り返すのは難しい。
文化、価値観
かつては国家間の隔たりが大きく、通信放送の技術も今ほど進歩していなかった。そのため各土地で異なった文化や習慣、価値観が存在していた。しかし現代では世界中の情報が瞬時に翻訳され伝えられ共有される。このため、ローカルな独自の弱い文化・習慣は消えていき、強い文化に駆逐され、文化の個体数は減少していく。
日本の特定地域のみで行われていた習俗は徐々に消えていき、ハロウィンなどの世界的に強い習俗に駆逐される。中国人や日本人が韓国人発のメイクを模倣する。三味線や小唄が見られなくなる代わりに、ポップスやEDMが氾濫する。袴やチマチョゴリが見られなくなり、皆がジーンズやスーツを着る(駆逐・数の減少)。
世界的な強い文化に従うのを拒否し、その土地独自の文化を維持し続けるのは心理的にエネルギーを要する。私たちが外国の有名な習慣を模倣するのはたやすいが、それを廃止し、独自のローカル文化を維持し、異なった文化を増加させていくのは起きにくい変化である。
言語
別々の異なった言語は減少する方向に変化することはあっても、増大することはない。中国では、各地域ごとに別々の言葉が話されているが、北京語がそれらを駆逐していく。少数民族が話す言葉は減っていき、より多数の人口に話されている言語の話者が増えていく。(駆逐・数の減少)
企業
企業は弱い個体が駆逐され強い個体が巨大化していく現象が観察されやすい。個人商店が減り、地域のチェーン店が栄える。地域のチェーン店が衰退し、国レベルの企業が栄える。国レベルの企業が衰退し、地球レベルの企業が栄える。この過程でどんどん企業数は減っていき、強い企業は規模が大きくなっていく。(駆逐・数の現象)
この逆の変化は起こらないだろう。
政治姿勢を必要なエネルギーで分類する
上述した変化は、政治的にはグローバリストやリベラル(左翼)の主張と親和的なものである。リベラルやグローバリストは、地球上から国境をなくし世界が一つの国になることを夢見る。強い企業が世界中を市場にし、大きくなっていくことを好ましいとする。差異(男女の差異、人種的な差異、その他諸々の差異)を減らし、世界中を同一の立場の主体に置き換えていこうとする。世界を一つの価値観(リベラルな価値観)のもとに統一し、それ以外の立場を消し去ろうとする。EUのような地域共同体の設立に賛成である。
リベラルやグローバリストの政治主張は、社会経済におけるエントロピーの増大の法則に寄り添っていて、エネルギーがかからない主張だと言える。
一方で保守や右翼の主張はエネルギーを要するものだ。国家に忠誠を尽くし国境を明確にする。国体、地域の伝統を大切にする。移民の受け入れに慎重である。世界を巨大な企業に独占させることに反対する。価値観が合わない相手とは取引を拒否しブロック経済を志向することもある。
保守の主張は、社会経済のエントロピーの法則に逆らうものなので、精神的・法的・社会的にエネルギーを要する。だから大衆に嫌われるのかもしれない。
社会経済のエントロピーは増大させたほうがいいのか、逆らったほうがいいのか?
では、社会経済のエントロピーは増大させた方がいいのだろうか?それとも、増大させないように抗った方がいいのだろうか?
恐らく抗った方がよい。
なぜなら一旦社会経済のエントロピーが増大してしまうと元に戻せないからだ。エントロピーの増大に抗って、現状を維持しておけば、今得ている幸福を維持できる。しかし、いったんエントロピーを増大させ、不幸になっても元の幸福を取り戻すことはできない。
コップから水をぶちまけた後、水を集めてコップに戻すのが大変なように、異なる色の絵の具を混ぜた後、別々の絵の具に分離させるのが不可能なように、いったん社会経済がエントロピーを増大させてしまうと元に戻すのは困難である。
ドイツが中東から受け入れた移民を返還できるだろうか?日本が朝鮮半島や中国から来た人間を選り分けて、帰国してもらうことができるだろうか?すでに失われたローカルな文化や言語を復活させ、狭い地域で維持できるだろうか?世界共通の新しい文化をアンイストールできるだろうか?巨大な企業を小さく分割できるだろうか?
すべて不可能である。言い換えると理論的には可能だが、確率的にありえない。
国家や政治制度はどのように変化するのか?
国家や政治制度はどのように社会経済のエントロピー増大の法則の影響を受けるのだろうか?EUやNATOのような仕組はできているが、国家は「駆逐・数の減少」の法則下にあるようには見えない。
政治制度はどうだろうか?現在、政治制度は「民主主義」と「市場経済有りの独裁」に二極化している。かつては、「市場経済無しの独裁」国家も存在したが、これらの国は消滅の途上にある(北朝鮮やベネズエラ)。
社会経済に働く「駆逐・数の減少」の力は、個体数が一つになるまで働くことはないように見える。国の数は今より減少するかもしれないが、政治制度の数はこれ以上減少しない。「民主主義」と「市場経済ありの独裁」のどちらか一つだけが生き残ることはないと予測する。