「失われた何かを取り戻す」は政治的結束を強める最強のツールか?

奥山真司の地政学アメリカ通信で最近の中国人が受けている教育について説明がされていた。元々はオーストラリアで出版されたSilent Invasionに書かれていた内容の紹介である。

冷戦終了以降、「社会主義」「マルクス主義」「共産党」の価値が下落したので、中国共産党は自己の正統性を中国内で確保するために1990年代から愛国教育を強化した。

愛国教育では歴史教育が重要な役割を果たした。1840年代からの100年間を「屈辱の100年」として教え、中国人の間に被害者としての連帯意識を醸成した。

世界に冠たる中国(?)が西洋や日本によって搾取され、領土を獲られ、戦争で負けた。

私たちはかつての偉大な中国を取り戻すために協力して頑張らなければならない。共産党はその夢を実現するためのパートナーである。

このような洗脳教育によって価値観転換を図られた中国の若者世代は、「民主化」よりも「失われた大国としての状態」を取り戻すことを優先するようになった。「中国はかつて被害者としてやられたのだから、やり返す権利がある」という意識があるのか、中国人は自分たちの広義の侵略行為にも罪悪感がない。

※もちろん、中国人が主張する「かつてやられたのだから、今度はやり返す」には正統性がない。それを許してしまえば世界中が紛争になる。世界のどの国にも被害者としての側面があるから、復讐を是としてしまうと収まりがつかない。

※※実際に中国人がこのように考えているのかは正直わからない。こういう話を知ったのは最近のことだから、本当にこのように考えているのかどうか中国人に聞いてみたことがない。ただ、日本にいる中国人(旅行客や最近移住してきた人)を見ていると、中国人は日本にいる外国人の中で、もっとも風景に馴染んでいないなと思う。欧米からの旅行客も東南アジアからの旅行客も、旅行客として風景になじみ、特別な気配を発していない。しかし、中国人の一団(特に男性を含むグループ)は、イキっているというか、何か特別な気配(敵意?)を発していて心の底からはリラックスしていないように見える。

「取り戻す!」が世界中で政治的結束を強めている

中国共産党から中国人に対して提示された「失われた偉大な中国を取り戻す」という着想は、民主化への切望をうっちゃってしまうほど若手の中国人を魅了した。

似たような着想は、日本でも使用されていて、2012年に自民党と安倍晋三氏は「日本を取り戻す」を選挙スローガンに使用した。「日本を取り戻す」の意味合いは、政治的保守層にとっては、第一次安倍政権が用いた「戦後レジームからの脱却」と同義だったかもしれないが、「日本を取り戻す」は多義的な解釈が可能であり、より広範な有権者に訴求力を持った。

戦後リベラルの誤った価値観から日本を取り戻す、民主党政権から日本を取り戻す、東日本大震災で日本から失われた活気を取り戻す、経済大国としての日本を取り戻す・・・さまざまな解釈が可能だった。

このスローガンのおかげで自民党が選挙に勝ったのかどうかはわからないが、上手いキャッチフレーズであることは確かである。

一般的に「何かを実現する」とか「何かを付け加える」とか「何かを変える」と訴えるよりも、「何かを取り戻す」と表現した方が訴求力があるのかもしれない。

トランプ大統領が使用しているMake America Great Againも、Againの部分に着目すれば、「取り戻す」と似た意味合いがある。トランプ以後、このMake something great againという言い方は政治の場で多用されている。

「失われた過去の何かよかったものを取り戻す」というスローガンは郷愁や復讐心を刺激すると共に、損失回避性に訴えている点も優秀なのかもしれない。

損失をゼロにするのはものすごく気持ちがいい

行動経済学は、人間が同じ金額を儲けた時と損した時とでは、感情の絶対値の大きさが違うのだと教える。

100円儲けた時の喜びを+1.5だとすると、100円損した時の悲しみは-3.0となるようなものである。100円の損を「取り戻す」のは、+3.0の喜びとなる。

このように損をしたときのつらさが、同じ金額を儲けたときの喜びより大きい、人間の心理的な癖を「損失回避性」と呼ぶ。

参考:プロスペクト理論と損失回避性:事例とマーケティングへの活用。

私たちが「~を取り戻す!」というスローガンに強く惹かれてしまうのは、この心理と関係があるのかもしれない。

あなたも何かに立候補する機会があるなら、是非スローガンを取り戻す系にしてみてほしい。