one for allの精神は国家にも必要だ

スポーツの世界では普通に使われる「one for all, all for one」という標語だが、なぜか国については使われない。

戦後の左派史観によって、「国家=弾圧する主体」という意識が過度に植え付けられた結果、そのようなことを口にするのは憚られる空気となっている。

しかし、私が近所の道端から拾ってきた本、岡崎久彦「百年の遺産」という本を読むと明治時代の日本人は、まさしく「one for all, all for one」、国民が一体となって国力の造成に励んでいたことがわかる。「百年の遺産」は近代の日本の外交について書いた本で、著者の岡崎氏は元外交官で陸奥宗光の遠縁だ。

ちょうど日清戦争のあたりを読んでいるが、清は日本より国力が上で、外国から買った戦艦を擁し強い海軍を保持していた。1886年の長崎事件では、清兵が長崎に上陸して乱暴狼藉を働いたが、軍事力で劣る日本は強気に対応できなかった。

当時の日本の国家予算は裕福ではなかった。ではどのように日本が軍事力(=戦艦の建造)を強化したかというと、明治天皇の御内帑金下賜(寄付)および宮廷費節減、国民の寄付運動、官吏は俸給の1/10返納というように、上から下まで相応の負担をして資金捻出に協力しあったのだった。

また、いざ日清戦争開戦となった暁には、義勇兵志望者で溢れかえり、国の方が「そんなに義勇兵は必要ないから各々の生業にいそしむように」と通達したくらいだった。

当時は、福沢諭吉が清の軍事力を見て、清国人によって東京が簒奪されうると心配していたぐらい、隙を見せると他国に蹂躙されるのが普通の時代だった。

今だって、当時よりはましではあっても、国際政治は「力の論理」が結果を左右するという点で変わっていない。清の時代と変わらず、シナ大陸の政府は残酷なままであり、朝鮮はどっちつかずの不安定さを残している。

国防だけでなく、少子化や財政赤字などの問題にどう対応するか考えた場合に、やはり基本に立ち返って、国民一人ひとりに国家意識を植え付けるところからスタートするのがいいのではないか。

財政赤字の問題は、既得権益者が自ら負担増を主張してくれれば、解決しやすい。

佐藤主光氏らが試算しているが、平成27年度の実績額ベースで、厚生年金の20%・後期高齢者医療の22%・介護保険の10%を削減すると、8.8兆円支出を減らすことができる。公務員のうち、警察官や自衛官、教師などを除いた人たちの給与の30%をカットすると、2.6兆円支出を減らすことができる。(出典:「財政破綻後 危機のシナリオ分析」105ページ)

国民の意識を変えるには、メディアのあり方を変えるのが先決だと思われる。今の左派的なメディアが残存するのはかまわないが、右派メディアも地上波テレビにないと日本は変わらない。

日本人の意識が変われば、財政赤字も人口減少も日本人的な解決が可能だと思われる。つまり全員が積極的に相応の負担を負うのである。