差別する権利がないがしろにされている

現代社会はあまりにも差別する側の権利をないがしろにしているのではないだろうか?

合理的な理由のない差別はよくない。特定の集団が別に劣っているわけではないのに劣っていると批判したり、自分より下の集団が存在すると気持ちがいいから特定の集団をけなすようなことはよくない。

しかし、確率論的に合理的な差別はどうだろうか?

思考実験をしてみよう。

架空の国の人間、Z国人は、日本人女性を見ると劣情が抑えられなくなり、100%の確率で強姦犯罪を犯してしまうとする。Z国人の男性が日本に旅行に来ることになった場合、日本が自衛的な措置を取ることは日本にとって当然の権利だろう。なぜなら、そうしないと必ず日本人女性が強姦されてしまうからだ。Z国人男性の入国を禁止したり、入国時に性欲をなくす薬を飲んでもらう措置をとってもそれは日本人の幸福を守る自衛権の行使であって、差別ではないだろう。

では、このZ国人が強姦を犯す確率が90%まで下がったらどうだろうか?(どのZ国人が強姦をするのかは事前には見分けがつかないとする)。

この場合もZ国人男性全員に何らかの予防的な措置を取っても日本は非難されないだろう。なぜならそうしないと高い可能性で日本人女性が健康を害するからだ。

このZ国人が強姦犯罪を犯す確率を少しづつ下げていった場合、何%以上なら予防的措置を取ることは合理的(自衛の範囲)で、何%以下なら差別なのか、絶対的な基準はない。

仮に日本人が強姦犯罪を犯す確率を0.1%とした場合、特定の外国人が強姦犯罪を犯す確率が0.1%超なら、特定の外国人に対して日本人に行うのとは違う措置をとっても非合理とはいえない。しかし、現実的には、このような措置を取ることは差別だと非難される確率が高い。

Z国人が強姦犯罪を犯す確率が、日本人が強姦犯罪を犯す確率よりも有意に高いのに、Z国人に対して日本国が予防的措置をとることを、差別を理由に禁止した場合、日本人は自分の健康を守る権利が侵害されていることになる。Z国人を差別から守ることと、日本人の自衛権(財産・健康に対する自衛権)はトレードオフの関係になっている。

もう少し具体例を挙げて考えてみる。

中国人の喋り声は日本人にとってうるさく不快に感じられることがある。現在、日本に入国する中国人に対して、日本国は一切、喋り声の音量を制限してはいない。この状態は、中国人の自由が尊重される(中国人が差別的な措置を受けない)代わりに、日本人が中国人の音声を我慢することで不快を得ている状態だといえる。この日本人にとって不利な関係を、もう少し日本人にとって有利な状態に移すことは、差別とは言えない、日本人にとって合理的な措置として考慮されてもいいのではないだろうか?

たとえば中国人が入国する際に、入国管理の人間が、「中国人の音声は日本人にとって大きすぎ不快に感じる日本人もいるので、少し小さな声で話して欲しい」という意のことを書いたパンフレットを配るのは、差別的な処遇とはいえないだろう。日本に入国する中国人に対して一切の会話を禁じるなどの措置を取れば差別的な待遇となるだろうが、日本人の幸福を守るために中国人の自由をほんの少し制限するのは差別だとは言えない。

私の主張をまとめると、確率論的に見て差別をする合理的な理由がある場合は、差別する側の権利も考慮してほしいということだ。

合理的な差別の禁止は、差別する側の人間の財産・健康を侵害していることが多く、後者は現代世界ではあまり考慮されていない。

現在、世界で流通している「差別」概念は不完全なのではないか。あまりにも被差別者の側の利益が守られすぎていて、差別者側の逸失利益は無視されている。「差別」概念は、あらゆるプレイヤーにとって公平な、もっと望ましい状態があるように思う。

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コメント

  1. kirii より:

    ポリコレが気に食わない発言は全部ヘイストピーチで自由な言論に当てはまらないというのがポリコレの連中の言い草ですし。差別だの何だのと言われて黙るのは一番悪手なのかもしれない。大体言論の自由なんてものは自分と違う意見を守るのが本質だろうに。

  2. nextir35 より:

    >kiriiさんn
    その通りなんですよね。何が差別で何が区別なのかは、ポリコレや被差別者側が自由に決めるわけで、黙っていると私達は不利になり続けます。
    合理的に差別する権利を提唱したいです。