戦前の日本には国際政経学会という組織があり、ユダヤ研究を行っていた。この組織に所属していた渡部悌治氏(1912-)が「ユダヤは日本に何をしたか」(元は「攘夷の流れ」という1992年に書かれた私家本)という本を書いている。
戦前の日本でのフリーメーソン等による対日謀略が記録されているのだが、元の本が書かれたのが筆者80歳の時であるし、もともと著作家ではないからか、読みやすくない。
いろいろ驚くようなことが書いてあるが、一番私の目をひいたのは、黒田善治氏についての既述だった。
黒田善治は、渡部氏の著作によれば、1907年生まれで、
黒田は世界無神論者グループの主要メンバーであり、戦時中もモスクワと連絡を絶やさずにいた。蒋介石が重慶に移ってからは居を重慶に移し、当時重慶にあって諜報活動に狂奔していたライシャワーとも提携していた。
黒田は西安事件後まもなく中国に渡り、中国をソ連に結びつけ、ソ連と一致した世界政策をとらせるために、蒋介石をしてその反共政策を捨てさせ、中国の抗日戦争と日本の敗戦工作とを推し進めることによって、日本の革命と中国の赤化とを同時に実現することを画策していた人物である。
と書かれている。
その他の記述を拾っていくと、黒田善治氏は京都帝大の浜田青陵博士の弟子だった。
日支事変を拡大化させ、蒋介石に抗日戦を続けるように作戦を授けたのは黒田善治氏で、氏の読みは、
- 抗日戦を続ければいずれ世界戦争を誘発することになり、その世界戦で日本を敗戦に追い込める。
- 近衛内閣成立時に日本は即戦即決の中央突破策を実行する。
- 日本はシナ大陸の沿岸沿いの平原地帯にある都市および工業地帯を狙ってくる。
- 日本軍が来たら、国共軍は戦略的に撤退し日本軍を拡大・分散させる
- 日本軍が兵力の損耗を徴兵によって補うとすれば二年で限度がくるので、二年間持ちこたえるようにする
- 日本が和平交渉に出てきても、それは日本を助けるだけだから応じない
というものだった。
また日本軍が杭州に進出した際には、
- ドイツに戦術を尋ねることで、ドイツが主体的に停戦の調停を働きかけるようにする
- 停戦交渉の間に時間を稼ぎ中国軍の結集と再編成を行う
という案を黒田氏が作成し、事態はこの通りに推移した。
米軍が日本本土を攻略する計画として、沖縄を攻略した後、中国本土に上陸して国共軍と合流し、シナ大陸の日本軍を掃討し、その後日本本土に迫る作戦だったが、黒田が朝日新聞の記事を読んで、日本が本土決戦準備を始めている事を察知し、その記事をアメリカに電送したことから、米軍は中国本土上陸を止め、直接日本本土を攻撃する作戦に変更した。
また八幡、京城、東京、鞍山の爆撃の際に「桐一葉」というビラが撒かれたが、これの原文はライシャワーが書き、日本語訳を黒田善治氏が書いたようだ。
渡部氏の著作を読むと黒田善治氏は大活躍をしたわけだが、wikipediaもない。しかしペンネームの青山和夫でwikipediaが存在していた。
wikiによれば、『謀略熟練工』妙義出版1957、『反戦政略 中国からみた日本 戦前・戦中・戦後』三崎書房1972という戦争関連の著作がある。没年は1997年となっている。