カトリック諸侯とプロテスタント諸侯が欧州で戦争をした三十年戦争(1618-1648)では多くの人間が死んだ。ドイツでは人口が三分の一以下になった。
この三十年戦争が教訓となって、戦争は制限されたものになり、非戦闘員は保護され、被害を被らないように配慮されることとなった。その結果、18世紀の欧州では、戦争は一種のスポーツのようなものになり、非戦闘員には戦争の影響がかなり少ないものとなった(以上、渡部昇一「ドイツ参謀本部」を参考にした)。
しかし、このような制限戦争の慣習は20世紀の第一次世界大戦では消えてしまった。
自衛のためとはいえ、日本が大東亜戦争で米国と戦ったのは無謀だったと、現代日本人は考える。しかし西尾幹二氏が戦後禁書になった本を紹介した著書(「GHQ焚書図書開封Ⅰ」)によれば、日本人の中には日米戦争は限定戦争になるという想定があったことがわかる。
ここで言う限定戦争とは、日露戦争のような、出先の軍隊だけが戦争をし、国境の外で雌雄を決した後は講和となる戦争のことである。
西尾氏は松尾樹明という人の書いた「三国同盟と日米戦」(1940年10月)という本を紹介しているが、この本では太平洋で起こる日米海戦を分析・予想して、日本が勝つと想定している(そして実際、戦争の初期においては日本の海軍は米国海軍より優勢だった。)。さらにハワイを叩き、占領をしたところでアメリカは講和を申し込んでくるだろうと予測していた。
著者は日米戦争が、日露戦争のような限定戦争になると想定していたのである。日米開戦時、多くの日本人が悲嘆にくれたというより、胸がすっとしたと当時の日記などに書き付けているのは、この著者と同じ様に日米戦争を限定戦争的にとらえていたからだろう。
しかし第二次世界大戦は、国家が総力を上げて相手国の全てを叩き潰す全体戦争となり、日本は民家にまで爆撃を受け多数の非戦闘員までが殺されることになった。
しかし近時においては、戦争の概念がさらに拡張され、全体戦争以上のものが出来している。人々の意識から、「平和な時間」(非戦時)が消えようとしている。
「米中もし戦わば」「china2049」などの各種の著作で、中国の超限戦争や三戦の概念が紹介された。それらは、簡単にいえば、全ての時間に、全ての領域で自国を有利に導く戦闘(武器を使わない戦闘)を行うという考え方である。
情報を窃取するサイバー戦争、法律を自国に有利に解釈・作成する法律戦、相手国の認識を狂わせる宣伝戦、経済を武器にして相手国を従わせる経済戦、歴史を自国に都合がいい様に解釈し相手国との交渉を有利に導く歴史戦などなどである。
日本では自衛隊基地の附近や、重要な水源地が中国人に買われているとも聞くし、日本に在住する中国人は戦時おいては、国防動員法によってテロリストになりかねないとも聞く。
テレビでは中国から有償で借りているパンダの子の出生が大々的に取り上げられたが、これは中国へのイメージを良化する宣伝戦だろう。
超限戦争の概念に従って中国の各種行動が行われる。超限戦争を知っている観察者は、日常生活中に戦争を発見する。
欧州の三十年戦争後の戦争概念の変遷を追うと、
・制限戦争(限定戦争)
↓
・全体戦争(総力戦)
↓
・超限戦(日常生活の戦争化)
という風に変化してきていることがわかる。
現代においては、完全な平和な時間(非戦時)はありえず、「戦時下」か「準戦時下」しかない。これが現代世界を暗いものにしている原因の一つである。