Y染色体共有体への異常な愛情

浅草キッドの玉袋筋太郎は文筆家としても優れていると思う。古くは「男子のための人生のルール」を読んで上手いなと思った。

最近、暇つぶしに玉袋氏の新著「粋な男たち」を読んでいる。「粋な男たち」の中では、玉袋氏の私生活が明かされている。父親が自殺してしまったこと、姉と縁を切ったこと、妻とは略奪愛で結婚し、子供は連れ子であること。そしてその子供はもう成人し、独立して所帯を持っていることなどが書かれている。

玉袋氏の私生活について単純にあれこれ言うのは難しいが、連れ子をきちんと成人まで育て上げたのは偉いなと思う。というのも、大抵の幼児虐待による子供の死亡は、父子関係に血のつながりが無い家庭で起こっており、男性が先天的に血の繋がりの無い子供を愛するかといえば、必ずしもそうではないからだ。

私は自分と血の繋がりの無い子供を愛し、育て上げる自信がない。特に経済的に余裕が無く、自分の遺伝子を継いだ子供がまだいない状態で連れ子がいたら、邪魔だと感じてしまうかもしれない。

だから、父子間に遺伝的に繋がりの無い家庭で幼児虐待死があっても、私は驚かない(幼児虐待のニュースを流す場合、メディアには義理の親子だったのか実の親子だったのかを明確に報道してほしい)し、父親の気持ちが想像できる。彼は自分の遺伝子の欲求に対して素直だったのだ。もちろん幼児虐待は現世において肯定されることが無いことを私は知っている。

血の繋がりのある子供の方が、義理の子供より可愛い。

これは多くの親が持っている感情であるが、現代社会で敢えて口に出すのははばかられる。未婚のまま生涯を終える人、結婚しても実子を持たない人など多様な人がいるからだ。わざわざ波風を立てる必要は無いのである。

しかし、私はもう一歩進めて、本能的な親族に対する愛情の濃淡について語りたい。

「血のつながりがあるだけ」ではまだ弱い

それは

  • Y染色体を共有している親族はそうでない親族より身近に感じる
  • Y染色体を共有している親族の中でも、Y染色体を後世に残す可能性のある人物により愛着を感じる

というものだ。

Y染色体は父親から子に遺伝される。だから同じ親族の間でも、父親の兄弟姉妹とはY染色体を共有している。さらに、父親の兄の子、父親の弟の子ともY染色体を共有している。また、自分の兄弟姉妹ともY染色体を共有している。さらに自分の子、自分の兄弟の子とY染色体を共有している。

母方の親族、父の姉妹の子、自分の姉妹の子とはY染色体を共有していない。

私が親族の中で誰に愛着を感じるかというと、Y染色体を共有している親族に愛着や同類意識を感じる。生物として何かを共有している感覚を覚える。

一方で母方の親族には、それほど親近感を感じない。

さらに、自分が中年になって自分の子や、甥、姪を持つようになって感じるのは、自分の息子と、自分の兄弟の息子により愛着を感じる。彼らは同じY染色体を後世に残す可能性がある存在である。

代々の天皇陛下が男系であることに私は何か意味があると思う

代々の天皇陛下は男系である。つまり、イザナギノミコトから受け継いだY染色体を持つ人間のみが天皇陛下に成ることが出来た。イザナギノミコトが言い過ぎなら、神武天皇からY染色体を受け継いだ人間のみが天皇陛下に成る事ができた。

なぜ天皇陛下は女系ではだめなのか?それを明確に説明できる科学的理由はない。ただ伝統的に男系だから今後も男系でとなっているのである。

しかし、男系を続けることの良さを今の人間が科学的に説明できないからといって、男系を続ける意味がないとは言えない。男系の子孫のみに伝わる何か、言い換えるとY染色体のみに伝わる大事な何かが人間の遺伝子にはあって、現代の遺伝科学でははっきりと判っていないだけかもしれないのである。

だからとりあえずは、伝統を尊重して天皇家には男系で存続していただきたいと考える。

男児が生まれないのは大問題だった昔の価値観は異常か?

昔の日本の一般の家庭でも、男児が生まれないのは問題だった。超貧しい家はどうだったかわからないが、ある程度中流の家ではそうだったはずである。

単に男児が一家の働き手候補として優秀だったから男児が望まれたのではなく、私はやはり男児から(Y染色体から)のみ後世に伝えることができる何かがあると、昔の人たちは直感していたのではないかと考える。

一人ひとりが意識してそう考えていたというより、幾世にも渡る知恵が蓄積して、無意識のうちに人々がそう考えるようになったのではないかと思う。

昔の日本人家庭にあった「家」をもり立てていくという感情は、科学的に言い換えれば、Y染色体承継者を最大化するということであったのではないだろうか?

※男児が生まれなかったら、よそから男児を養子にとって育てるケースも多かったので、血縁関係のある男児にそれほどこだわっていたとは言えないのかも知れない。関係無いが、元総理大臣の吉田茂は、男児がいなかった商家に養子に入った後、義理の親が亡くなったので、若くして莫大な遺産を継いだのだった。

Y染色体を共有する存在により愛着を感じる

天皇家が男系を採用していることや、昔の家でも男児を持つことを一大事と考えていたことを引き合いに出したが、私はやはりY染色体共有体への愛着を強く感じてしまう。

子や甥・姪の誰に遺産を残したいかと問われれば、息子と私の兄弟の甥に残したい。娘と姪には早くいい相手をみつけて結婚して、勝手に幸せになってくれとしか思えない。娘や姪は「他家」に行く者、つまり他者のY染色体を後世に残す手伝いをする人間だと見なしてしまう。姉妹の子はより遠い存在で、親族感を感じない。

自分と同じY染色体を後世に残す可能性がある息子と兄弟の甥には、教師のような、あるいはスポーツのコーチのような感情で「御家」をもり立てていってほしいと期待してしまう。この感情が、人間の本能に基づくものなのか、Y染色体共有体という私が造り上げたフィクションに基づくものなのかはわからない。

みなさんは自分と同じY染色体を後世に残す可能性がある人物に対して特別な感情をいだきますか?

↓いつの間にか歌手デビューをしていた玉袋氏。