人生の満足度は孫が左右する

渡部昇一氏が86歳になって書いた本「実践・快老生活 知的で幸福な生活へのレポート」を読んでいるが、渡部氏は孫の有無こそ幸福感を左右すると書いている。以下、関連した部分を引用すると、

凡人にとって家族生活の幸せこそが、即、人生の幸せなのである。私は、人生における腹の底からの幸せ感は、子供を持ち、孫を持つようになって初めて体験することができた。しかも、若いときから幸福ではあったけれども、ジジババになってからの幸福感は、まことに格別なものである。

パスカルは、人間は天使であると同時に動物だといっている。ならば、動物的な幸福の最たるものは、子供を持ったり、孫を持ったりすることであろう。あらゆる生物の営みを見てもわかるとおり、それこそが生を享けたものとしての天与の使命でもあるのだから。

家庭を持たずにキャリアで成功した人は、天使の部分だけを重んじて、動物の部分を軽視する傾向がある。しかし天使の側面は、人間にとっての半分でしかない。動物としての幸福感を持ててこそ、人間は全体として本当に幸せになれる。

とある。

なぜわざわざ渡部昇一氏の感慨を引用するかというと、一部の賢い人達が、結婚、というか人生そのものを金銭の多寡で評価する傾向があるからだ。

結婚することの良し悪しを金銭の増減で評価する。子供を持つことの良し悪しを金銭の増減で評価する。こういった考え方を読むにつけ、その賢しらぶりに愕然とする。

人間には、その年齢になってみないと分からないことや、得てみないと分からないことがあるのに、現時点の評価基軸だけで人生を決めつけてしまう。それはなんとも愚かしいことではないか?

小学校低学年の時点においては、男は男と、女は女と遊び、異性を嫌い合っていたりする。その時点で子供に人生訓を書かせれば、「異性と仲良くする意味なし」とか「異性は敵である」というような事を書くだろう。

しかし彼らが第二次性徴を迎えた後はどうだろうか?身体の変化によって、感情や価値観も変化した後になってから振り返れば、小学校低学年の時に考えていた人生訓がバカバカしいものに思えるに違いない。

同じように20代や30代で得た価値観は、老いていくに従って変わっていく。どのように変わっていくかは先達の話を聞いたり、書き残したものを読めばわかる。

現代において陥りがちな罠は、こうした事が腹から分かる様になる頃に結婚のための活動を始めても遅いという事だ(特に女性は)。感覚としては理解できない(かもしれない)年齢のうちから、結婚し子供を作ってこそ、老いた時に最大の幸福を得ることができる。

私も20代の頃に10歳年上の上司から「結婚はいいものだぞ」という話を聞かされる度に、「ちっ、うっせーな」と思っていた。

しかし、普通、人生はものすごく長い。

賢い皆さまには、金と孫のどちらが目的でどちらが手段か、よく考えてほしい。

渡部昇一氏の同記事について語っている動画↓(和田憲治氏、奥山真司氏、KAZUYA氏)