良識ある大人の中には科学で証明されていること以外は信じない無神論者・唯物論者がそれなりにいるだろう。国ごとに違いはあるだろうが、日本人に占める無神論者の割合は欧米より高いだろう。中国や北朝鮮のような共産主義を採用した国では、無神論者の割合がさらに高くなる。
一見、合理的・良識的に見える無神論・唯物論だが、これを個人の信条として採用するのには、何らかの宗教的な事柄を信奉する以上に高いハードルが存在する。なぜか?
無神論を信奉するのが難しい理由1「科学では分かっていないことが多い」
一つは科学には分かっていない事柄が非常に多いからだ。昨年は、量子力学や宇宙の仕組みについて初心者向けの本を何冊か読んだが、「こんなに多くの事柄が未知のままなのか」と驚いた。
超弦理論では世界は10次元と予測されているが、空間と時間以外の6次元がどのようなものなのか分かっていない。
また宇宙が何でできているか推測した結果、暗黒物質が27%、暗黒エネルギーが68%となっているが、これらがそもそも何なのか分かっていない。(引用元:ダークマターとは?)
このような状況下で科学が世界の全てを説明できているかのように信頼するのは、時期尚早ではないだろうか?
無神論を信奉するのが難しい理由2「否定すべき事柄が多すぎる」
科学で証明されていないものは、全て嘘やでたらめ・錯覚であるとすることを無神論・唯物論だと定義すると、無神論・唯物論は、非常に多くの事を虚偽だとして切り捨てなければならない事になる。
例えば下記の事柄を「存在しない」「錯覚」「作り話」などとすることになる。
- 幽霊・生霊・守護霊
- 輪廻転生・あの世・幽体離脱
- 予知・予言
- 神・人間より上位の意識体・神話
- 妖怪・妖精・天使など
- 憑依・チャネリング・占い
- 祈祷・呪術
- パワースポット・気・風水・オーラ
- 超能力
- 地球外生命体・発展していた古代文明
人間の歴史のなかで上記の事柄は、各地で信じられ、体験されてきた。それらを「科学では証明されていないから」という理由で、否定して捨て去るのは、功利的に見ても賢い決断ではないのではないだろうし、上記の事柄が存在しないことを科学的に説明するのも、相当大変ではないか?
上記の事柄が存在しないことを説明する科学的言説も一つの仮説に過ぎないわけで(無いことを証明するのは悪魔の証明だから・・)、無神論・唯物論を積極的に信奉するには強い意思が必要だろう。
不可知論では好奇心が満たせない!
オカルト的なことや、宗教のことは本当なのかどうなのか分からない。本当かもしれないし、嘘かもしれない。こういう立場でいいじゃないかという人もまた多くいるだろう。この立場が世の中を最も上手に渡っていけそうでもある。
しかし、不可知論では好奇心が満たせないではないか。
パワースポットが本当で、皇居がパワースポットであるなら、それは日本にどういう影響を持つのか?
予言がある程度的中するということは、未来は既に決まっているのだろうか?占いも予言と同じような仕組みで未来の情報を取得しているのだろうか?上位の次元から我々の次元の暮らしを見れば、過去・現在・未来の区別は無く、全ては同時に生起しているのだろうか?
輪廻転生があるとしたら、輪廻転生が終わった後はどうなるのか?神になるのだろうか?輪廻転生論者は、輪廻転生を通じて人間は学習をするのだと主張するが、学習すべき事柄はなんなのだろうか?輪廻転生があるとして、20世紀以降の人口増はどのように魂の増量分を賄ったのだろうか?
祈祷や呪術に効力があるのなら、人間の感情や念には力があるのではないか?人間の感情も素粒子のような微小な物体として計測できるのだろうか?
神は偏在するという立場と、キリストやモハメドのような単一の神を崇める立場は矛盾するのだろうか?有名な宗教家や、斯界で優れていると言われている人間の主張のうち、一致する部分は本当だと考えた方がいいのではないか?
色々な事が気になるのである。しかし科学がこれらを説明、あるいは却下できるようになるまで待つのは、なんともじれったい。そして楽しくない。
そういうわけで今年はスピリチュアルな本をたくさん読むつもりだ。
スピリチュアルを否定しない信頼できる物書き
最後にスピリチュアル、オカルトを必ずしも否定しない信頼できる物書きを紹介したい。
ウィーン発 『コンフィデンシャル』(長谷川良氏)
フリー座(山田高明氏)
新世界より(山田高明氏)