政治にコミットして精神的な幸福が得られるか?

自分の理想に近づけるために、世の中を変えたいという願望は多くの人に持たれてきた。しかし、米国大統領でさえ自分の希望通りに物事が運ばないのであるから、普通の人であれば、尚更自分の思い通りにはならないだろう。

職業として、例えば政治家であるとか、官庁勤務だとか、評論家、メディア関係であるなら、仕事として政治に付き合う必要があるが、一般人が政治にコミットしても心の平安を得ることは難しい。

というよりも、政治にコミットすればするほど、不充足が意識され、心は落ち着きを無くし、精神的な幸福から遠ざかってしまう。

以前も紹介した精神科医であり精神的な解脱の域に達した、デヴィッド・R・ホーキンズ氏は下記のように問いに答えている(「I<わたし> 真実と主観性」より)。

Q:上記のことは、ラマナ・マハルシの教えを理解するのに役立ちます。彼は、世界を救おうとしても無駄である、なぜならば、あなたの知覚している世界は存在しないからだ、と述べています。マハルシは世界を神に明け渡し、代わりに自己探求に集中することを勧めています。

A:ラマナ・マハルシは、世界に現れ出てくるものは、二元的な知覚と自我の生得的なメカニズムの結果であることを明確に知っていたのです。この世界の中でわたしたちが実際に見るものは、すべて差異と好みです。あなたが森を眺めたとすれば、そこには大きな木もあれば、小さな木もあります。曲がった木も、ねじれた木もあるでしょう。森の中に分け入って、折れ曲がった木を全部まっすぐにしようとしても何の意味もありません。折れ曲がった木にも、今にも倒れそうな木にも、何の問題もないのですから。

マハルシ氏やホーキンズ氏が述べているのは不二一元論的な考えで、要は、人間が知覚している世界は自我が生んだ幻であり、それは真の知覚からはかけ離れているというものだ。自我と理性を働かせて、現世の問題に執着すればするほど、人間はマーヤー(幻)に没入してしまう。

なので、職業として政治にコミットする人間は、それが使命なのだから大いにやるべきだが、一般人は、右であれ左であれ、政治にコミットしすぎると逆に精神的な幸福から遠ざかると思う。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする