日本に外国人が増えてきた。市の統計資料は見ていないが、わが町で今まで見なかったようなタイプの外国人を見かけるようになった。以前は、東アジアと西欧系の外国人をぽつぽつ見る程度だったが、最近では東南アジアやアフリカ系と思しき人達もしばしば見かける。
(ちなみに市役所に行くと、どの町内にどこの国籍の人が何人住んでいるかわかる月次更新の資料が置いてある・・。どこの市役所にもそういう資料はあるのではないかと思う。)
私ははっきりいって特定の外国人が好きではない。主に中国や朝鮮半島出身の外国人が好きではない。戦後の日本はこれらの国に失礼な扱いを受けてきたし、それが今も続いているから私の悪感情には一応理由がある。
東南アジアから出てきたと思しき若者達も好きではない。ありあまる男性ホルモンが彼らに犯罪をそそのかしそうだからである。警戒してしまう。
外国人嫌い・ゼノフォビアは忌むべき感情として、欧米では扱われ、日本でもそのように扱われている。
他種や見知らぬ人間に警戒心を抱く心理的傾向は、進化の過程において役に立ったはずだから、人が外国人や自分とは違う見た目の人間に警戒心を抱くのは、肉体に備わった自然な心的メカニズムだ。
しかし、それが本来、友好的な関係を結び得たはずの人々との仲を阻害するがままにさせておくのは、現代に生きる理性的人間として恥ずべきことだ。だから、我々はゼノフォビアを克服する必要がある。これがゼノフォビアを忌むべきものとする欧米の論理の根拠だろう。
しかし、日本人のゼノフォビアには本能的なもの以外に、それなりの根拠があるものもある。例えば、中国人に抱く悪感情だ。思いつくままに列挙してみると、
- 中国政府による度重なる嫌がらせ(領海侵犯等)
- 中国人の声のうるささ
- 中国人の慎みの無さ(あるいは日本人との恥じらい意識の違い)
- 中国人のモラルの無さ(あるいは日本人との道徳観の違い)
- 中国人の自民族を偉大視する感情
- 謝らない
- 嘘をつく
- 極端な現世主義(無神論)
- 態度がでかい、傲慢
- 文化的に不毛
- 産業上の技術剽窃
- 自集団・家族中心主義(公益意識の希薄さ)
- 国防動員法によって有事には中国人が敵と化す可能性がある
- 日本に住んでおきながら日本を憎んでいる中国人がそれなりに多くいるという情報
などだ。我々は外国人だから大方の中国人を嫌うというよりも、上記の事柄が相まって、ほとんどの中国人を好きになれない。同じように朝鮮半島出身者が嫌われるのにも、それなりの理由がある(ここでは書かないが)。
私はスピリチュアル(?)な人間なので、人生は学びの場であり、他者に対して慈愛をもって接することが特に大事だと考えている。現世の仮の肉体を脱ぎ捨てれば、我々は皆同じ魂であり、同胞であるはずだとも思う。
だから必要な警戒心を保ちつつも、中韓の人たちにも慈愛をもって接すべきだと思う。しかし、なかなかできない。・・イラっとするから・・。
スピリチュアルな観点からすれば、このような状況(嫌いな外国人と多少は接していかなければならないという状況)は乗り超えるべき課題である。というか、そうとでも思わないと前向きに対処できない。
嫌いな外国人と接する機会が増えたであろう多くの日本人は、どのように考えてこの状況に対処しているのであろうか?
嫌悪感などみじんも見せずに外国人に接しているのだろうか?そもそも嫌悪感自体を持っていなかったりするのだろうか?
おまけ:よくある中国人フォロー言説に対する反論
中国人にもいい人はいる→確かに中国人にも尊敬できる人はいる。しかしそういう人の割合はとても少ない。逆にいうと、中国人に嫌なヤツの割合は高い。また中国人が政治に関することも含めて本音を話すことはめったにない。だから本当にいい人なのかどうか日本人側が捉えきれていない場合もある。
中国共産党は悪いが一般の中国人は悪くない、むしろ犠牲者→一般の中国人も中国共産党とそっくりの価値観を持っている人が多い。貪欲で動物的で他者を追い落とすことに躊躇がないタイプである。
おまけ2:中国人のいい点
他人に迷惑をかけることを平気でするから、他人から迷惑をかけられることにも寛容。
思ったことをずけずけ言うからストレスが少ない。
日本人と比べてフレンドリーで、見知らぬ人同士でも中国語が通じるとなれば、会話が弾み打ち解ける。