MVに意味もなく外人を入れるのは変だし商業的にも無意味だと思う

日本人の歌手のミュージックビデオを見ていると、曲の内容とは無関係に外人がやたらと出てくるようになったように思う。それがどういう狙いなのかわからないが、ポリコレ的な価値観になびいているだけに見えるので、アクセサリーや言い訳のように外人を出演させるのはやめたほうがいいと思う。

ユーチューブでMVを公開すれば、世界から見てもらうことができる。だから、歌詞に英訳をつけたりして海外からも曲を聞いてもらうように工夫することはとても重要だ。

日本だけでなく海外からも注目されるようになれば、視聴数は10倍以上増加することもある。

一部では天才と目されながらも、メンバーが収入の少なさゆえにやめていった神聖かまってちゃんの動画は、基本的に100万~200万回再生されればいいほうだが、歌詞の英訳をつければ、その10倍再生される。

下記の「るるちゃんの自殺配信」は英語字幕ありだからか、1年で1735万回再生された。コメントも主に外国語である。

英語字幕をつけたり、英語で歌ってみたりするのは海外でも売れるようにするために有効な努力だ。

しかし外人が日本人歌手のMVを見て、外人が踊っているのを見たら、逆に奇異に思うのではないだろうか?

外人が日本の歌に期待しているのは、西洋らしさとはかけ離れた日本独自の何か、あるいはその歌手独自の何かであって、人種的多様性を見たいわけではないはずだ。

それなのに最近の日本人歌手のMVには非白人の外人(主に黒人)がやたらと出演している。

例えば藤井風の「何なん」は黒人が出ずっぱりで逆に違和感を覚える。海外で受け入れてもらうための努力というよりは西洋への媚びを感じる。

ゲスの極み乙女の「マルカ」には、南米風の男と黒人の女が出るが、なぜ外人が出るのか意味不明で、唐突な感じがする。外人が出演する必然性がない。

私が外人を意味もなく出さないほうがいいと書いているのは、政治的にとか、道徳的にという意味合いではなく商業的にということである。

日本のMVにまでポリティカル・コレクトネスの痕跡を見たら、外人は精神的に疲れるように思うし、日本人が海外に対して劣等感を持っているかのように思うだろう。

黒人だって、日本人のMVで黒人が踊っているのを見たら、逆に興ざめになるのではないだろうか?「人種的多様性をアピールするための道具」として黒人が出演させられているかのように感じる黒人だっているはずだ。

我々が洋楽のMVを見て、頻繁に日本人ダンサーを見かけるようなことがあれば、変に思うであろうのと同じだ。

変に外人を出演させるより、スタイルの悪い日本人が、日本人だけで盛り上がっているフレデリックの「オンリーワンダー」のようなビデオの方が、「西洋とは違う、島国日本の独自性」が出ていて良いと思う。

観光地に出向いて、世界的企業の製品を見ても何の興趣もわかないのと同様に、日本人が海外でもウケたいなら、西洋っぽさを前面に出したり、人種的多様性をアピールしない方がよい。海外の目を変に意識せずに良いと思うMVを作っていくべきだ(しかし歌詞に外国語訳をつけると視聴回数は飛躍的に伸びるから、外国語訳はどんどんつけたほうがよい)。