報道対象の取捨選択をゆがめることによる妨害工作

ニュースの内容、報道の仕方に偏向があるとここ数年言われるようになってきた。民放のニュース番組を見ていると、最初から視聴者を特定の考えに導くために角度をつけて報道しているように感じられる。

報道のおかしなところは、このような特定の方向への偏り以外にもある。何を報道して逆に何を報道しないかの取捨選択にも非常に偏りがある。

日本の世論を無駄に分断させるようなニュース、些細なニュースが繰り返し過剰に取り上げられる

たとえば、某私立幼稚園のニュース。ローカルな私立の幼稚園の教育方針が仮におかしかったとしても、それは日本人の大多数には影響がない話だ。その地域に住む住民も、教育方針に不賛同なら子供をその幼稚園に通わせなければいいだけのことだ。

築地の市場移転のニュースもそうだ。東京都民には税金がどのように使われるかという点で関係があるが、その他の道府県民にはどうでもいいようなニュースだ。金正男の暗殺に関しても、どのように暗殺されたか、どのような毒薬が使われたかのような細部はそれほど重要ではないはずだ。それよりも、北朝鮮を含む国際情勢がどのようになりそうなのかを予測・分析することのほうが大切だ。

日本人の栄枯盛衰に影響を及ぼしそうなニュースがあるのに、ノイズのようなニュースをうんざりするくらい報道する。そして本当に大事なニュースは報道しない。

冒頭に引用したツイートにあるように、テレビのニュースを見ていても目の前に迫っている危機が見えない。これは報道内容の取捨選択を故意にゆがめた妨害工作なのではないだろうか?

中国軍が領空や領海に頻繁に迫っていることは危機に直結した出来事なのになぜ扱いが小さいのか?韓国に対して中国が行っている経済制裁はいつか日本がその対象になってもおかしくないのに、なぜ批判的に報道されないのか?危機感が惹起されないのか?

大事なニュース例1

2017年3月3日、八重山日報より

日本の報道は、一部を除いて中国の意向に沿ってなされているかのようだ。我々は警戒し、反対意見を述べなければならない。

我々投資家にとって、相場が安定して今後も存続することは大切なことだ。であるから、国防には敏感でなければならない。

上記の「歪曲報道」(2006年発売)という本を読むと、偏向報道は今に始まったことではなく昔から行われてきたのだとわかる。私の場合、トランプ大統領のフェイクニュース発言や、既存マスコミに対するツッコミをtwitter等で見かけるようになってからおかしさに気づいた。

ではこれまで、20代の頃など、テレビニュースを見てどう思っていたかというと「わけがわからない、何が問題なんだ?」と思っていた。そして、わけがわからないのは、自分が真面目にニュースを追っておらず知識が不足しているからだと思っていた。しかし、今になってみれば、テレビニュースは何でもないことをさも何か問題であるかのようにガヤガヤしているだけで、たいていの場合何も言っていなかったのだとわかる。意味不明に感じて当然だったのだ。