エドワード・ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」(文春新書)を読んだが面白かった。
徹底した戦争が、敵対する二国の国民や経済を疲弊させ、精神的には「お互いに戦い合った」という感覚を与えることで、次の平和をもたらす。逆に中途半端な第三国の干渉による停戦は、敵対する両国の戦力や憎悪を温存させるので平和や復興を遅らせると著者は説いている。下手な干渉をして戦争を止めるよりも、戦争を完徹させたほうがいい場合があるということを著者は様々な事例を用いて説明している。もしも第三者が干渉して戦争を止めるのであれば、50年はその地域に関わるくらいの覚悟でやらなければいけないとも著者は主張している。
「戦争は何が何でもイヤ」という言説が主流の日本では到底出てこない発想で、読者の視野を広げる良書だと思う。
「戦争にチャンスを与えよ」という論文自体は1999年に書かれたもので、この本には、それ以外に訳者の奥山真司氏が聞き手となって作成された地政学に関する論考が収められている。日本は尖閣を守るためにどうするべきか、北朝鮮はどのように扱うべきか、中国包囲網をどのように築くべきかなどが論考のテーマである。ルトワック氏は安倍総理とも2016年に会っており、氏の知見は有益だ。
この本には、上記以外に、文化と少子化の関係についての論考も収められている(戦争から見たヨーロッパ 「戦士の文化」の喪失と人口減少)。これも面白かったので内容を紹介したい。
戦士の文化とは
かつてヨーロッパは世界で最も発展している国家群が集中している地域だった。そのヨーロッパの人々の思想に根本的な位置を占めていた書物が「オデュッセイア」と「イーリアス」だった。このうち「イーリアス」が述べているのは、シンプルに次の2つの事柄だそうだ。
- 男は戦いを好む
- 女は戦士を好む
この2つの原則は、イスラエルの歴史学者クレフェルトが主張する「生命の法則」とも一致する。この「生命の法則」が拒否されている国では少子化が起きる、とルトワック氏は主張している。
ルトワック氏は上記原則を戦士の法則とも呼んでいるが、では戦士の法則を拒否する文化の特徴がどんなものかというと
- 戦争の忌避
- 性的マイノリティーの擁護
- フェミニズム
- 銃規制
- 移民の受け入れ
などだ。ヨーロッパでは戦士の法則が消えつつあり、それがヨーロッパの衰退をもたらしているとルトワック氏は主張する。ヨーロッパに比べると、米国や中国にはまだ戦士の気概が残っていると言う。
この法則について日本への言及は無いが、少子化最先端を走る日本が、平和憲法を保持し戦士の法則と真逆の方を向いているのは示唆的では無いだろうか?北朝鮮有事に際して、親北の候補を大統領に選ぼうとしている韓国の出生率が低いのも同様である。
日本は少子化対策として戦士の法則を導入したらどうだろうか?
- 憲法9条を改正し、自衛隊を国軍に変更し、交戦権を保持し、核兵器を所有する。
- 性的マイノリティーに対しては、旧来の対応に戻す。
- 男には男の天分があり、女には女の天分があることを教科書に書く。
- 移民の受け入れは厳しくする。
などである。他に、少年漫画誌から萌え系を一掃して北斗の拳や男塾が載っていた頃の誌面に回帰させるなどもいいだろう。
リベラル的価値観など捨ててしまえばいいのだ。
電車での移動は狩人的精神を殺す
最後にルトワック氏の主張とは関係がないが、私が普段考えていることを書く。
都会に住んでいる人間は、電車を使って移動する人が多い。田舎に住んでいる人は電車やバスの本数が少ないので、基本的に自動車で移動する。
私が思うに、電車での移動は、人間がかつて持っていた「狩人的精神」を殺すのではないだろうか?電車に乗ると、他者と空間を共有することになり、行き先も自分で決めることはできない。個を殺すことになる。
それに較べて、自動車での移動は、個を維持して自分の行きたい場所に主体的に移動することができる。
私が観察したところ、狩人的精神を色濃く残していそうな人(DQN、マイルドヤンキー)は自動車保有率が高い。
地方に行くと、草食マインドが都市部に較べて薄いように感じるが、それは移動手段の心理的影響なのではないかと考えている。移動に電車やバスをメインに使うことは、狩人的精神(≒戦士の法則)を殺し、出生率を下げることになると思う。