日本人の容貌に関する言説のゆがみについて

日本人の容貌に関する言説はゆがんでいると思う。株式投資ではないが、価値と価格に差異が生じている。この記事では、私が存在していると信じている容貌に関する言説のゆがみを取り上げていきたい。

男性の容貌に対する評価が厳しすぎる

男女の性愛に関する行動の心理的な遠因を探求することも多い進化心理学では、男性は女性に富を与え、女性は男性に素晴らしい容貌を与えるとされている。

我々が狩りをして生きていた時代、男性は獲物を獲得して女性や子供に分け与え、外敵から家族を守った。富や地位、力強さ、健康さが男性の女性に対するアピールポイントになった。

それに対して、女性は子供を守り育てる役割を担った。妊娠しやすさや健康さ、母性などが女性の男性に対するアピールポイントとなった。

女性が男性に対して容貌をアピールしていたのに対し、男性は女性に対して富や地位などの経済的・肉体的競争力をアピールしていたので、一般的な恋愛市場において、男性は女性と比べると容貌の美醜はそれほど問われない傾向がある。

私が知る限り、外国(中国や東南アジア)において、女性が男性に求める性質は主に金銭獲得能力や優しさであり、見た目の良さではなかった。しかし、不思議なことに日本においては、男性の容貌の美醜が殊さらに言挙げされる傾向がある。

男が美男であろうとなかろうと、それは家族を運営する能力とはほとんど無関係であるので、男性の容貌に過度にこだわるのは、女性にとって機会損失だと思われるが、男性の容貌に対する欲求は、日本において諸外国よりも厳しい。

さらに不思議なことに、この男性の容貌に対する高水準な欲求は、同じ男性側からも発される。男性であれば、男性の見た目の良さが犬の餌にもならないとわかりそうなものだが、何かあるとすぐに「ただしイケメンは除く」などのように卑屈なことを言うのである。

日本人は、恋愛市場において男性に対して無駄に厳しく要求している。そして男性はその価値観を内面化して過度に卑屈になっている。

自分の容貌に対して、過度に卑屈になっている男性には、人件費が安い国への旅行をおすすめしたい。そこでは人間はかなり安く買える。安く買えるというのは、様々な人的サービスを安く購入できるという意味だ。一方で現金の価値は、そういった国へ行っても下がることは無い。むしろ現金の希少度は増すのだ。

金でパートナーを買ってこいというわけではないが、金があるのに見た目が多少イマイチであることを理由に自信を喪失するのは非常にもったいない。視野を広げて、持つべき自信を取り戻して欲しい。

女性の容貌に対する評価が甘すぎる

男性の容貌に対して厳し目な発言が多い日本であるが、一方で女性に対しては評価が甘い傾向にあると私は考えている。

時折、日本人男性が、日本人女性は世界一だと評価することがあるが、容貌に限れば、私は日本人女性は相対的に醜いと思う。

日本人はかつて倭人と呼ばれたが、倭人には「小柄な人」という意味あいがあると言う。日本人は、小柄というか、骨格が太く、手足が短く見える。それらが女性の幼児体型度を際立たせている。

しかしなぜか日本人女性の見た目に対する非難は、あまり聞かれない。

女性に容貌を非難された男性は、もっと言い返してもいいのではないかと私は考える。

投資家においても見られる容貌信仰

私達投資家は、金の力をそれなりに理解していそうなものだが、投資家間においても一般人と同様の容貌信仰が見受けられ、がっかりすることがある。

あとで書き足すかもしれないが、とりあえずここまで。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする