死体写真家・釣崎清隆氏は保守だった/クイックジャパンがサブカルの意味を変容させた

昔のエロ本には真のサブカルコーナーが存在した

釣崎清隆氏は外国などで死体の写真を撮影する死体写真家である。氏は、私が高校生・大学生の頃には既に死体写真家の活動をしていた。インターネットが発展していなかった当時、どこでそういう情報に接するかというとエロ本である。

DVDの出現、ネットの台頭によって壊滅的な打撃を受けたエロ本だが、2000年頃はまだ生きていた。当時のエロ本は、エロを扱うだけでなく、ジャンクな情報、アングラな情報も扱っていた(これらを伝える機能は現在ではネットに移行している)。

釣崎清隆氏の活躍は、エロ本のサブカル記事コーナーでよく拝見した。当時はエロ本だけでなく雑誌のナックルやGONなどもアングラな情報を扱っていて、そちらでも見かけた気がする。駆け出しだった文芸評論家の福田和也もエロ本で連載を持っていて、エロ本の余ったページはマイナーな文化が生育していた場所だった。

「スーパー写真塾」というエロ本をたまに購読していたが、エロとは無関係のサブカル記事がたくさん載っていた。死体、変態、ホラー映画、キチガイ、残酷な事件、麻薬。当時はサブカルといえば主にこれらの領域を指していたと思う。それが変わったのはクイックジャパンのせいだ。

クイックジャパンのスタンスの変化がサブカルの意味を変えた

雑誌クイックジャパンは創刊からしばらくは、今の内容とはまったく違うマイナーな文化を扱う雑誌だった。それぞれの号がどんな特集をしていたかというと、

3号(1995年7月) ぼくたちのハルマゲドン

4号(1995年10月) みんなの涅槃

6号(1996年2月) 君はゴミである/外道という生き方

7号(1996年4月) 黒くなれ。ヒップホップと黒人と僕たち

8号(1996年6月) ノイズミュージック

9号(1996年8月) サニーデイ・サービスと90年代フォークの世界

10号(1996年10月) エヴァに至る病

11号(1996年12月) 山崎春美という伝説

12号(1997年2月) 庵野秀明欠席裁判

13号(1997年4月) ゴアトランス

17号(1997年12月) 中村一義

18号(1998年3月) フィッシュマンズ

という感じであった。23号から北尾修一氏に編集長が変わり、時折テレビタレントの特集も組むようになった

41号(2002年2月) タモリ徹底分析

46号(2002年12月) はねるのトびら

変化球としてテレビネタも扱うというスタンスのタガが外れたのは、編集長が森山裕之氏になった51号以降だ。

51号(2003年11月) ダウンタウン

55号(2004年7月) くりぃむしちゅー

56号(2004年9月) 笑い飯

63号(2005年12月) 内村光良

・・・

最近ではAKB48なども取り扱うようになってしまっている。

クイックジャパンが扱うもの=サブカルチャー的な図式もあり、クイックジャパンの姿勢の変容が、サブカルチャーという言葉が包含する範囲を変えてしまった。

そして悪いものは見せないという風潮が、本来サブカルチャーの主役だった麻薬・残酷・ホラー・キチガイ・変態などを駆逐してしまい、後には子供だましの大衆文化が「サブカルチャー」として残った。

本来のサブカルチャー的なものは、シックスサマナや裏モノJAPANに残っている。

釣崎清隆氏は政治的には保守だった

偶然、釣崎清隆氏のツイッターアカウントを発見したが、政治的に保守の立場に立ったツイートが多かった。芸術に携わる人間は左翼になりがちだが、アングラシーンと接した人間は現実主義的になり保守になりやすいのかもしれない。東南アジアで娼窟を多く見てきた鈴木傾城氏もバリバリの保守である。

「ポリティカル・コレクトネスは美意識と極北にある」というのは名言だ。90年代のサブカルチャーに魅了された人たちが釣崎氏の言説に揺り動かされ、保守に目覚めることを期待したい。

※この記事を書き終わってから気づいたが、2017年8月3日(昨日!)、釣崎氏は覚醒剤所持の疑いで逮捕されていた・・。釣崎さん、しっかりしてよ!

「麻薬組織取材で勧められ」 写真家、覚醒剤所持の疑い

コメント

  1. 竹槍 より:

    Google画像検察して激しく後悔しました。グロが…。OTL

  2. nextir35 より:

    >竹槍さま
    死体写真家ですから・・