戦後の言論空間と日常における自責論

私が会社員だった頃、「他人を変えようとするのではなく、自分を変える」調の反省や決意の弁が好まれているのを散見した。

何らかの状況を変える際に、自分が変わるのか他者に変わってもらうのか、どちらがいいのかはケースバイケースなのだが、日本の会社や学校では「他者に変わってもらう」を選択するのはなぜかご法度で、「自分が変わる」と言わなければならないような空気があった。

これは日本の憲法や、WGIPとそれに影響された戦後の言論空間と関係があるように思う。

憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という一節があり、他者(他国)を無条件に信頼すべきだというような内容になっている。他者を批判できない(信頼しなければならない)のなら、何かあった時に批判する相手は自分しかいない。

国際問題を考える際にも、日本人の中には(特に女性に多いが)内こもりな解決策しか思い浮かばない人がいる。脅威の元は他国にあるのに、自分たちの精神性さえ変われば脅威が解決するように考えている人だ。

日本人は、他国の労働者と較べて、平社員まで優秀でまじめだと言われる。しかし、安全保障などの問題になると基本的な思考力さえ欠落したような「いい大人」も多くおり、戦後の教育や放送が認識を非常に歪めてしまったように思う。

今でも地上波のテレビは歪んだ認識を再生産しており、日本人の多くにテレビ離れして欲しくてたまらない。Don’t watch TV!

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