四-2.ユダヤ民族の世界流散

その後ユダヤ王国では、ダビデ王、ソロモン王等という英邁な君主が出で、ユダヤ王国の勢威は、まさに四隣を圧する有様であったが、紀元前953年ソロモン王の死後、ユダヤ王国は南北に二分し、北をイスラエル、南をユダヤ王国と称えるに至った。

国家が分裂し、今までの国威は失墜して、その勢力は地を払いしため、南北朝とも、間もなく隣邦アッシリア人のために攻め取られ、ユダヤの国家はここにおいて全く滅亡し、アッシリアの版図に入ってしまった。その後エジプト、バビロニヤ、シリア等附近に強国が勃興するに及び、常にこれらの近隣強国の属領となり、その存在を続けていたが、紀元前63年(我が崇神天皇35年頃)ローマの将帥ボンベーのために攻略せられ、その後数百年の久しき間全くローマ帝国の治下に入ったのである。

しかるにユダヤ人はローマに対して、しばしば反乱を企てた。西暦紀元135年(我が成務天皇5年)時の皇帝ハドリアンヌスは、背叛常なきユダヤ民族を徹底的に弾圧し、パレスチナから彼らを追放する目的で、苛酷なる重税を課し、ジェルサレムの市内には、ユダヤ人の居住を厳禁した。

ここにおいてユダヤ人は、国民としての集団力を失い、エジプト、バビロニヤ、シリア、ペルシャと故国を棄て四方に流れ行き、行く先々でユダヤ部落を造り、そこに落ち着いたのである。この異邦におけるユダヤ人の集団の生活を、通常ディアスポラ生活と称えている。

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