四-6.シオニズムとその勃興

ヘルツル博士がシオン会議を開き、この民族的思想を呼び起こしたのを、今はシオニズム(シオン思想)と呼んでいる。最初ヘルツル博士がシオニズムを唱導したときは、これより起こる不安と無理解から、あるいは嘲笑され排斥されたが、いよいよシオン会議が招集されると、このシオニズムは、ユダヤ民族共通の思想となり、ユダヤ民族の統一は、日と共に強固となったのである。

世界大戦の直前には、既に、会員50万人を算し、シオニズムの組織は非常な発達を遂げ、ついに英国政府を動かし、世界大戦の末期1917年11月2日、英国エジプト遠征軍がトルコ軍を追うて、長駆エルサレム城に入るに先立ち、時の英国外務大臣バルフォーア卿をして、英国政府の名によって、ユダヤの巨頭ロスチャイルド男宛てに、パレスチナにユダヤ民族の祖国建設に関する、次の宣言書を提出せしむるに至った。

「英国政府はパレスチナに、ユダヤ人のため郷国を設立せんことに対し好意を有し、その目的達成を容易ならしむるため、最善の努力をなさんとす。ただしパレスチナに存在する非ユダヤ人団体の民業および宗教上の権利並びに他の諸国内に居住するユダヤ人の権利と政治上の地位とを毀損することなし」

この宣言は、実にユダヤ史上における一道標となったものであって、1920年サンレモの協商国最高会議を通過して、パレスチナは英国の委任統治となり、更に1921年国際連盟もまたこれを承認するに至った。その委任統治第四条に曰く、

「適宜のユダヤ代理機関は、パレスチナにユダヤ国を建設するため、またパレスチナのユダヤ人の公益のため、併せてパレスチナにおけるユダヤ人の経済、社会および地方の方面において、パレスチナの発達する政庁の統御に服従し、かつこれと協商協力する目的に対し、公共団体と認めらるべし。

またその組織および法規が、統治者の意見に合する限り、シオン団は代理機関を認めらるべし。ゆえに大英国皇帝陛下の政府と協商し、ユダヤ国建設に共鳴するすべてのユダヤ人と協力すべきなり」

以上述べたように、フランス大革命におけるユダヤ人の解放を動機として、彼ら民族間に瀰漫したる改宗同化の思想は、1860年イスラエル同盟の創設をきっかけに、幾多のユダヤの愛国者ならびに先覚者により、逐次にその勢力を減殺されたが、ついにヘルツル博士のシオニズムの唱導ならびにその具体的実行運動によって、彼らの故国パレスチナは、英国の委任統治下において、とにかくユダヤ人の掌中に入った。しかしてこのシオニズムの最大の効果は、全世界のあらゆるユダヤ人を挙げて、「ユダヤ人はユダヤ人なり」との自覚に帰らしめた点にある。このことに関しその実証として、彼らユダヤ民族の叫びを次に紹介しよう。

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