四-8.ユダヤ民族精神の不変

ユダヤ民族の精神不変は、過去現在における二ユダヤ巨頭の、ユダヤ民族に対する演説によって、最もよく立証していると思う。なおこの二つの講演は、民族精神を窺知する上に、すこぶる興味あるものと思うからこれを次に掲げ、敢えて読者の対照を煩わす次第である。

全世界ユダヤ人同盟が、西暦紀元1860年「眠れる者を醒ます結社」という名称でパリに開かれた。この同盟の代表者はもちろんユダヤ人で、モーゼス・モンテ・フィオレというものである。彼はイタリーのリウオルノの生まれで、英国に永住し英国女王の寵を受けて貴族に列せられたが、彼はマツソンの有力なる結社員で、ユダヤ主義の功労者である。このモンテ・フィオレと共に、この同盟の計画者の一人で、1848年フランス二月革命の際には、臨時政府委員となり、当時は仏国の大臣であった同国のマツソンの有力なる一領袖、ユダヤ人アドリフ・クレミエとが、この大会において大雄弁を試み、同民族に警告を与えた。

この演説は印刷に付し檄文として、全世界のユダヤ人に配布されたが、今その演説の大要を述べよう。まずアドリフ・クレミエは立って次の熱弁を振るった。

「吾人が創設せんと欲する同盟は、フランス人同盟でもなく、イギリス人同盟でもなくまたスイス人、ドイツ人等の同盟でもない、実にユダヤ人の全世界同盟である。ユダヤ人の信仰する霊智の唯一神教たるユダヤ教が、吾人の権利と利益とに対して敵愾心を抱く外国およびこれらの国民間に、その光輝を発するようになった後、初めてユダヤ人はキリスト教およびマホメット教徒の親友たりうるのである。

吾人は何事よりも先に、ユダヤ人でありかつユダヤ人として存在することを欲するものであって、ユダヤ人の国粋の精華は、一にユダヤ人の父の宗教である。すなわち吾人はいかなる政権をも認むることは出来ない。我が民族は常に外国に生活しているのであるが、吾人にとっては異国人の、軽佻浮薄な欲望のために、浮身を費やすような馬鹿なことはできない。暫くの間は我が独特の物質的及び道義的諸問題も、危険状態にあることを免れない。さればユダヤ人の教訓を、世界に徹底せしめなければならないのである。吾人の事業は実に偉大であると共に、赫々たるものであって、その成功はもちろん保証せられている。

吾人を往古から仇敵視したカトリック教主義は既に滅び、イスラエル人の地上に投じた網は、日月の経過と共に拡大し、我が聖書に記載された大なる預言は、着々と実現され、エルサレムは諸国民の祈祷の宮殿となり、ユダヤ一神教の旌旗が、彼岸に高く翩翻たる時が近づいたのである。すなわち吾人は各国における凡百の事情を利用しよう。我が民族の威力は、広大なものである。我々はこの威力をもって、吾人の事業に適用すべく研究しようではないか。吾人は何事か恐るるところがある。地球上に存在する一切の富を、イスラエル人の子の所有とする日は、全く遠くないのである・・・」

実にクレミエは全世界イスラエル同盟の意義を明らかにし、他民族の風俗習慣に同化すべからざるを説き、やがて世界は、ユダヤ人の世界となるべき抱負を述べ、舌端火を吐いて、同民族を鼓舞激励したのである。そのあとでモーゼス・モンテ・フィオレは起って、

「吾人は何物よりも先に、出版界の権能をユダヤ人の掌中に収めねばならぬ」

と冒頭に喝破し、

「諸君が徒らに貿易およびションその他の物を、壟断せんとしつつあるも、これらの努力たるや全く徒労の業である。吾人が世界の言論を、自由に操縦しえんがために、世界中のすべての出版物を、吾人の掌中に収めざる間は、吾人の統治権に対する理想は、妄想として存在するに過ぎない・・・・」

とモンテ・フィオレは言論の権威をもって、世論を左右するということを説得した。その時クレミエは更に起立して、出版物の威力、価値および利用をついて、その甚大なる抱負を述べた。

「然りもしも黄金が世界の第一の力であるならば、出版物は第二の力である。出版物の助力を欠いては、ここの大会に縷縷述べられた各種の考案も、協議も、すべて何らの意味をなさないのである。出版物を我が掌中に収めた時、初めて我々は目的を達成することが出来る。吾人はすべからく日常の出版物を指導すべきである。

我々は狡猾であり敏捷である。それであるから、金銭を占有し、これを我が目的に利用することができる。また世論、巷間の文芸および芝居を製造するため、我々に大政治新聞が必要である、これを利用して漸次キリスト教徒を圧迫し、かつこの中に何を信じ、何を尊び、何を呪うべきかを教え、また我々はイスラエル人の悲しき叫びと、吾人を虐ぐる圧制に対する訴えとを繰り返そう。

もしある人々が吾人に反対しても、馬鹿な群衆は我々の味方として、吾人のために起つであろう。

我が掌中にある出版物を利用して、我々は不正当なるものを正当とし、不名誉なることを名誉とすることができる。そして我が敵キリスト教徒の、今日まで尊敬した信仰を根本から破壊し、その代わりあらゆるものに対して、公然戦いを宣しよう。我々は物事を有名なものにすることも、これを侮辱してつまらぬものにすることも思いのままである。

また我々は非ユダヤ人の才能を損することも、向上させることも出来る。非ユダヤ人は、常に拍手喝采されることを求めている。それで彼らを功名心に慣らすことは、我々にとって利益であるから、我々は喝采に対しては寛大な態度を取っている。こういう有様であるから、些細なる不成功に、自ら欺かれたる阿呆者を落胆させることは、いかにも容易である。それには彼らの権威に対して、ご焼香したり拍手したりすることを、止めることだけで沢山である。また成功力を勃興させるために、奴隷的に肯定的な服従に彼らを指導することも容易である。

非ユダヤ人は見た所虎のようだが、心は羊のようで、誠に軽率極まる人民である」

彼らの着眼、抱負実に敬服に値すると共に、我が日本にもユダヤ人のいわゆる「見た所虎のようで心は羊のような」軽率極まる人々が、日に増し多くなるのは、実に慨嘆の至りである。

右に対照して、1932年9月5日、ユダヤ青年会館における上海ユダヤ人の巨頭エヅラ氏によってなされたる、ユダヤ青年団の宣言を次に掲げる。

ユダヤ青年団の宣言

ユダヤ連隊は、平和に対する各人の愛着心と、戦争に対する嫌悪を消滅せしむるものでない、また我々は我々の権利主張のために、兵備を重要視するものでない、我々は破壊によって問題を解決せんと欲するものでもない、すなわち正義平和による解決法を欲するものである、それは神より与えられた使命を有する民なるがゆえである。

しかしながら我らの祖国擁護に必要なる自衛力を要する時ありとしたならばこれを避くるものでない、なぜならば我々は神の命に忠実にして世界平和のための剣は、神より与えられたものであるからである。

古今を問わず国家の建設には、困難なくしてよくこれを為し得るものではない、しかしながら幾千年の間流浪の民なる我々は、住むに土地なく守るに家なきも、なんらの恐怖も束縛をも受くるものでないと同時に、勇気を失うものでもない。我々は決して我々の相続権利を放棄し、我々が平和の殿堂建設のための戦闘を中止するものでない、また中止してはならない、一致団結我々の祖先ユダマカビーの四人兄弟の英雄のごとく、勇猛果敢決して降服してはならない、今日の我々ユダヤ人の精神は、昔時におけるユダヤ精神であらねばならぬ。

吾人は両三年前ユダヤを風靡し圧倒せる、迷信によるユダヤ騒擾に屈服してはならぬ、ロシアのユダヤ人、ドイツのユダヤ人、米国のユダヤ人およびスペイン、英国のユダヤ人等に対する迷信的宣伝的排撃に対しては、強力なる意志とユダヤ精神とをもってこれを征服し、もって平和の殿堂を建設しなければならぬ。

我々は飽くまで聖なる使徒のために戦い、正義のために揮い、ユダヤ統一精神を発露して潮の如くあらねばならぬ。時の高低は建設の過程である、シオニズムの運動方策はただ神の使いの一語に尽きているのである。」

以上によって昔のユダヤ精神も、現在のユダヤ精神も、なんら変わるところなく、一定不変のものであると同時に、そのいかなるものであるかを理解しうるであろう。

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