六-6.ユダヤ財閥の発達

最近聞くところによれば、米国において、日米戦争を起こさすように策動しているのは、英国ユダヤ人であるとか、また円為替は欧州の財界に覇権を握るロスチャイルド家の一手に帰しているとか、噂をされているそうである。このロスチャイルド家は、世界ユダヤ財閥中の雄の雄たるもので、その家の古きこと及びその基礎の強固なる点において、他にその比を見ないであろう。したがって現在の米国のユダヤ金権も、素を洗ってみれば、ロスチャイルド家の保護の下に、今日の大を成したと言い得よう。有名なヤコブ・シツフも元をただせば、ロスチャイルド家の一使用人に過ぎなかったのである。

ロスチャイルド家は、イギリス、フランス、オーストリアに蟠踞しているが、そのロスチャイルド家の祖先ともいうべき、マイヤー・アムフェルという人は、1742年ドイツのフランクフルトに生まれた一両替屋に過ぎなかった。

元来このライン河畔のフランクフルト市は、世界ユダヤ財閥の発祥地で、このロスチャイルド、シツフ、スペーヤー等皆このフランクフルトの出身である。この世界的ユダヤ財閥の本拠地は、それ以前、オランダにあったのであるが、ナポレオンのオランダを占領後、当時のユダヤ財閥は、このフランクフルトに来たのである。

話は第一代のマイヤー・アムフェルから始めよう、このアムフェルが、どうして金持ちになったかというに、彼がウイリアム一世に取り入って、その官金を取り扱うようになったのがそもそもの初めである。

そして1803年彼はデンマーク政府に、莫大な金を貸し付けた。これが彼の国際的財政に関与し始めた最初である。彼には五人の子供があった。その五人の子供が、アムフェルの死後各々フランクフルト、パリ、ロンドン、ウイーン、ネーブルス等に本拠を構えて、財的に大発展を遂げた。

したがって今日でも、その傾向はあろうが、とにかく十九世紀の末までは、欧州の諸政府は、その外債を募集する場合、大小となくこのロスチャイルド家に相談をし、またドイツ皇帝でも、ロシア皇帝でも、要するに欧州諸国の諸帝王は、ロスチャイルド家一家に相談なしには、戦争することが出来なかった程、偉大なる財的勢力をもっていたのである。

ついでながらもう少々このロスチャイルド家のことを述べてみよう。ロスチャイルド家は、ナポレオン戦争の際、ナポレオンに対する連合国側を、その財力によって極力支持したのである。当時英国のロスチャイルド家すなわちネサン・マイヤーはナポレオンがエルバ島に流された時、ナポレオンは既に欧州から葬り去られたものと判断し、財的一般計画を策定した。しかるにナポレオンがエルバ島を出で、再び活動を開始したので、ロスチャイルド一家の打算は見事に的をはずれた。しかし彼は熱狂的に英普両国を後援し、やがてオータルローの戦闘切迫するや、その勝敗は実に彼一族の興亡に大なる関係をもつに至った。

ネサン・マイヤーは元来非常な臆病者であったが、彼は一家の存亡に係わるこのオータルローの戦闘を座視することができず、自ら英軍にしたがってフランスに渡り、ホゴモン附近で、弾丸に対して安全なる一角に身を潜め、終日戦闘の経過を観察した。しかしてナポレオンが最後の襲撃を命ずる直前において、ネサン・マイヤーはその状況を観察し、ロスチャイルド家は戦争に勝てりと絶叫した。

かくて彼は戦場をぬけ出て、汗馬に鞭をあげてブラッセルに疾駆した。その途中人々が彼に向かい、戦争はどうであったがと心配してたずねたが、彼は口に緘して一言も漏らさなかった。更に莫大な金員を支払って馬車を雇い、ドーバー海峡の一角オステンドに向かって更に強く鞭を加えた。

しかるにこの時海上はあいにくの大暴風で、わずかに20マイルをへだてた彼岸に向かい、誰一人として船を出そうというものがなかった。ことわざに鹿を追う猟師は山を見ずと言うがロンドンの取引所を脳裏に強く描きつつある彼には、この暴風も何らの危険を感ぜしめなかった。彼は水夫に対し最初500フランを提供し、次に800フランに上げ、最後に1000フランを提供したが、出帆には誰一人応ずる者がなかった。百計尽きた彼は2000フランを一水夫の妻に手渡した、ここにおいてその夫なる水夫は、この大暴風を冒し、ドーバー海峡を渡ることを承認した。この荒波のうちに乗り出したネサンと水夫は、九死に一生を得てようやく英国に到着したが、もとより、半死半生の状態であった。

彼はさらに勇気を振るい、特別仕立ての馬にまたがり、鞭の限り拍車の限り、ロンドン目がけて馳せつけた。当時はもちろん、電信電話等の通信のなかった時代だから、英国の全国民は、英仏の勝敗いかにと案じつつ、その報告を待っておった。

しかしいつの時代でもデマは飛ぶもので、英国では英軍が破れたと伝えられていた。1815年6月20日ネサン・マイヤーは、株式取引所に現れた。彼は円柱に身を寄せて真っ青な衰えた顔つきで、沈黙しておった。人はそれを見て、戦争は破れたなという感を深くした。彼は力無く自分の所持する証券を手放し始めた。これを見た人々は、非常に驚いた、そして市場はたちまちにして大混乱に陥った。そこで財産家は大恐慌に襲われ、皆その持ち株を二束三文で売り飛ばし、ために市場は整理公債の大洪水になった。

しかるにその売り出された公債は、ことごとくロスチャイルド家があらかじめ廻した手先によって買い占められ、その金庫に納めてしまった。その翌日も相場の状況は前日と同様であった。取引が終わろうとする頃は紙屑同様に買い占めた証券で、彼はまさに食傷する程であった。しかるにその夕方一人の使者がロンドン目がけてまっしぐらに飛び込んできた。そして、ウエリントンは大勝、ナポレオンは戦場から逃走せりとの報告をもたらした。人々は二度びっくりした。そして相場はたちまち逆転し、暴騰また暴騰で、ほとんど天井知らずの有様であった。この一刻でネサン・マイヤーは二千万ドル余の大金をその懐に収めた。

しかしある一説によれば、ネサンはオータルローの勝敗をいち早く知るために伝書鳩を用いたとも伝えられている。とにかく臆病な彼が、万金を獲得するために振るった勇気としぼった知恵とは、後世への物語として今なお伝えられている。

また彼の子供はよく父業を継承し、英国におけるユダヤ解放運動に努力して、大なる効果を収めた。その後彼は英国のロスチャイルド男爵に叙せられたのである。なおオータルローの戦争後、彼ら五人の兄弟は、ナポレオンに敵した国々を援助した功により、みなオーストリア帝国の男爵を授けられた。

財的、政治的ならびに国際的に勢力を有するユダヤ人富豪は、ロスチャイルド家のほかに、まだ多数あるのであるが、米国においては何と言うても先に述べた所の、クン・ロエブ・エンド・カンパニーを中心とするシツフ並びにその一族である。

今から日露戦争並びにロシア政府転覆のため、最も大なる役割を演じたこのユダヤ財閥の勢力、およびその本質について検討してみよう。

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