六-7.ユダヤ銀行の大同団結

クン・ロエブ・エンド・カンパニーは、1875年ドイツ系ユダヤ人クン及びロエブ並びにドイツ系ユダヤ人ウォルフの三名によって、ニューヨークに設立せられた銀行である。当時は単なる金融業に過ぎなかったが、1865年ヤコブ・シツフが、ドイツのフランクフルトから渡来し、同行に入るにおよび、該銀行は驚くべき発達を遂げるようになった。

すなわちヤコブ・シツフはまず世界の大勢を観察して、第一にアメリカにおけるドイツユダヤ系の銀行を合同し、これを一団となすことを計画した。そこで彼は同じくフランクフルトの出身なる有力なるユダヤ銀行家、スペーヤーの経営する大銀行スペーヤー・エンド・カンパニーと、同じく有力なるユダヤ大銀行セリグマン・エンド・カンパニーを相連結し、そこに密接なる関係を作った。

ついでであるから彼らユダヤ財閥の、姻戚関係について明らかにしておこう。ヤコブ・シツフの妻は、ロエブの長女であって、その娘はドイツにおけるユダヤ財閥巨頭フェリックス・ワルブルグに嫁した。ロエブの次女はアイツク・セリグマンの妻であった。またその三女はフェリツクス・ワルブルグの兄であるポール・ワルブルグに嫁している。

このポール・ワルブルグは、クン・ロエブ・エンド・カンパニーの支配人で、有名なる全米連盟準備銀行の創立者であり、ウィルソン大統領の監視役として、米国大蔵省の実権を掌握しておった人で、その兄は欧州大戦中ドイツカイゼルの最も信頼した財政顧問たるマックス・ワルブルグであった。

更にクン・ロエブ・エンド・カンパニーの創立者たるウォルフの孫娘は、二代目のシツフの死後、クン・ロエブ・エンド・カンパニーの支配人となったオツトウ・カンの妻となった。カンはドイツマンハイムの生まれで、米国銀行界の重鎮なりしのみならず、米国におけるオペラ諸会社を掌握しておったが、最近すなわち1934年3月29日に死没した。

かくのごとくして、ヤコブ・シツフを中心に、ドイツユダヤ系大財閥は、単に経済的ばかりでなく、血縁的に相結合され、全く一団をなしたのである。

同じくドイツユダヤ系でヒルシエ男爵がある。これは古いことであるが、1875年トルコ帝国が外債によって、ほとんど破産に陥ったことがある。その主なる原因は、このヒルシエの経営したヒルシュ鉄道のおかげであると言われている。

ヒルシュは1850~60年頃、既にその財産三、四億に達しておったが、このヒルシュ鉄道によって、更に財産を倍加したのである。彼は常にパリに住み、そこに根拠を構え、表面フランスに忠実なるごとくにして、実はその生まれ故郷のドイツのために活動しておった。

このドイツ系ユダヤ大財閥ヒルシュ男は、ユダヤ民族の発展のために、ユダヤ植民協会(Jewish Coloniazation Association)なるものをロンドンに設立した。この協会設立にあたって、彼を援助したのは、エドワード七世の有名なる顧問である英国ユダヤ人サー・アーネスト・カツセルである。ヒルシュ男がこの植民協会に提供したお金は、1100万ポンドすなわち現時の約1億1千万円である。この一事をもって見ても、ヒルシュの財力の程度は窺われるのである。

ヒルシュ男の民族愛は、ヤコブ・シツフのそれと全然同一であった。またユダヤ民族解放のため否ユダヤ民族の帝国主義実現のための理想は、共にシツフと一脈相通ずるものがあった。この欧州のユダヤ大財閥の巨頭ヒルシュと、ニューヨークの巨頭シツフとは、英国のサー・アーネスト・カツセルの仲介によって、相提携した。

ついで1891年シツフはヒルシュを説き、アメリカにユダヤ植民協会を設立した。この際ヒルシュが提供した資金は49万3千ポンド、約500万円であった。なおこの協会には世界各国のユダヤ財団から、多額の金を寄贈せられた。この莫大な金は、シツフの天禀の理財的能力によって運用された。

この植民協会の目的は、表面上ロシア、ポーランド及びルーマニヤ、アジア、南米、カナダ等に移住したユダヤ民族の、プロレタリヤのために、植民地を建設することであった。しかし実際はロシア、ポーランド、ルーマニヤ等における、ユダヤ人圧迫に対抗するのが目的であって、彼ら同族を援助すると同時に、一方国際的運動をもって、圧迫政府並びにユダヤ民族攻撃に対する防御を目的とすることを声明しておった。

したがってヒルシュその他のユダヤ財閥によって提供され、シツフによって運用された所の、多額の協会資金は、ユダヤ民族の発展のため、各種の形をなして活用せられた。すなわちその金は特にロシア革命費として、ロシア虚無党に送付せられ、また時にはユダヤ革命家の養成、援助、ならびに集合離散に用いられた。1916年2月14日、ニューヨークのイーストサイドに、全米ロシア革命党大会が開催せられ、ロシア大革命の準備は整えられたが、集合するもの62名、そのうち50数名はいずれも既に1905年のロシア革命暴動に活躍した錚々たるユダヤ人であった。

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