七ー2.大戦唯一の勝利者とドイツの管理人

世界大戦における唯一の勝利者、それは実にユダヤ人であったのである。しかし斯く主張しただけでは不十分である、この主張が正しいということを、証明する必要がある。吾人は今ここにその事実を穿鑿してみよう。

ドイツが旧政府から新政府へ移ったその時、既に如何であったろう?すなわちドイツ国政府に代わったものは、六人制内閣で、この内閣の代表人物は、実にユダヤ人のハーゼとランツベルヒであった。ハーゼは外務を統括し、これが補佐役となったものは、ユダヤ人のカウツキーである。カウツキーはチェック人で1918年には、まだドイツ国民たるの権利を持っていなかった者である。その他コーンもヘルツフェルドも共にユダヤ人だ、ユダヤ人シツフェルは鉄相であって、ユダヤ人ベルンスタインは彼の補佐役であった。内相になったのはユダヤ人ブロイスだ、その女房役はフロインドというユダヤ人の博士だ。コペンハーゲンの「フランクフルト・ツアイツング」紙の通信員たるユダヤ人フリッツ・マックス・コーエンは逓信事務の長官となった。

ドイツ国中央政府の状態既に右のような有様である。いわんやプロイセン王国においておやだ。プロイセン内閣を統率したのは、ユダヤ人ヒルシュ及びローゼンフェルドで、ローゼンフェルドは司法官を、ヒルシュは内務省を主宰した。ユダヤ人シモンは大蔵大臣となって、プロイセンの大蔵省は完全にユダヤ人の占領する所となった。教育機関の総長は、ロシアのユダヤ人フトランで、次長はユダヤ人アルントである。植民局長になったのは、ユダヤ人マイエル・ゲルハルトである。ユダヤ人カステンベルヒは美術局の長官となり、陸軍給養局は、ユダヤ人ブルムの掌中に移った。経済相にはユダヤ人ドクトル・ヒルシュ及び枢密顧問官ドクトル・スタツトハーゲンがおった。労兵委員会を統率したのは、ユダヤ人コーエンである。ユダヤ人ステルン、ヘルツ、リヨーヴエンベルヒ、フレンケル、ラエロウイツツ、イスラウベンハイム、ゼーリヒゾン、カツツエンタスタイン、ラウツフェンベルヒ、ハイマン、シュレシンゲル、メルフ及びヴェイルは、右委員会の内部で、色々の職を持っておった。

ユダヤ人エルンストはベルリンの警視総監になった。フランクフルト・アム・マインの警視庁では、ユダヤ人ジシツハイメルが、エツセンではユダヤ人レヴイイが総監であった。ユダヤ人アイスネルはババリアの大統領となり、その大蔵大臣はユダヤ人ヤツフェで、ババリアの商業、交通、工業は半ユダヤ人ブレタノの隷下にあった。ユダヤ人タールハイメル及びハイマンはヴエルツチンベルヒ国所管省内にユダヤ人フルダはヘツセン国に活躍しておった。

平和会議のドイツ正式代表は二人共にユダヤ人であって、副代表はユダヤ人の利益を図るに、有名なる人物であった。このほか代表派遣使節の一行中にはユダヤ人の専門家や、顧問等が蝟集しておった。即ちマックス・ワルブルグ、ドクトル・フォン・ストラウス、メルトン、オスカル、オッペンハイメル、ドクトル・ヤツフェ・ドイチュ、フレンタン、ベルンスタイン、ラーテナウ、ワツサーマン、メンデルスゾーン、バルトールド等の類である。

このほか平和会議に、他の諸国のユダヤ人も、参列しておったことについては、公平なる立場にある非ユダヤ人通信員の記事を読んだ人々は、何人も確実に知り得た所である。非ユダヤ人通信員の目にはかくのごとく多くのユダヤ人が、平和会議に参列しているという事実が、奇異に感ぜられたらしい、そこでこれを記載したのだろう。しかしユダヤ人の記者は、かようなことは黙っている方が、賢いやり方だと考えたせいか、一言もこのことに言及しなかった。

ドイツにおけるユダヤ人の活動は、大戦間特に熾烈となり、遂に表面に現るるに至った。そしてその活動は、隼のごとく敏速にしてしかも綿密確実、人をして、万事は既に以前から計画準備されておったのではないかと、疑わせる程である。

ドイツのユダヤ人は、大戦間決してドイツに忠実なる愛国者ではなかった。このことは、ドイツに敵意を有する諸国民の目からすれば、何ら非難に値することでもなく、むしろ当然のことと見ゆるだろう。しかしこれを深く考えて見れば、ユダヤ人は自己の住んでいる国に対して、決して忠節の念を有するものでないということを、明らかに証明するものと見なければならない。なおドイツの思慮ある人々は、これを仔細に観察し、次の理由からして、ユダヤ人が愛国者たることは、不可能なことと考えている。

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