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中学歴史教科書を比較して自虐史観度をチェックしてみた

      2017/10/06

自虐史観に準じた歴史教科書って実際のところどんな感じなんだ!?

日本の歴史教育は自虐史観に染まっていると聞く。私が中学生の頃、どんな教育を受けたか、もう20年以上経っているので記憶にない。高校時代は社会科目は倫理をとったので、歴史教育とは接する機会が無かった。

だから、実際のところ、自虐史観とはどういうものなのか実感がわかない。そこで、中学の歴史教科書を買って読み比べて見ることにした。そして、どの出版社の歴史教科書が自虐史観的なのか調べてみた。

全ページを読み比べるのは大変なので、「沖縄県の設置」「韓国併合」「日本がなぜ対米戦争を開始したのか」のトピックにしぼって、各社の中学歴史教科書を比較してみた。

※中学歴史教科書は下に紹介するもの以外に「日本文教出版」「学び舎」のものがあるが割愛した。

※引用に際して、年号は西暦に統一した。

中学歴史教科書

東京書籍の中学歴史教科書

東京書籍の中学歴史教科書が描く「沖縄県の設置」

沖縄県の設置と琉球の人々

琉球王国は、薩摩藩に事実上支配されながら、清にも朝貢するなど、日清の両方に属する関係を結んでいました。日本政府は1872年に琉球王国を琉球藩としました。さらに日本政府は1879年、軍隊の力を背景に、琉球の人々の反対をおさえ、琉球藩を廃止して沖縄県を設置しました(琉球処分)。朝貢する国を失った清は日本に強く抗議しました。琉球をめぐる日清間の対立は、日清戦争で台湾が清から日本へゆずりわたされることで自然消滅するまで続きました。

琉球処分で沖縄は日本領に編入されましたが、それまでの土地制度や租税制度など古い慣行はしばらく温存されました。しかし、沖縄の人々に対しても、じょじょに本土の風習や文化に合わせさせる同化政策が採られるようになりました。

東京書籍の中学歴史教科書が描く「韓国併合」

韓国の植民地化

日露戦争の最中から、韓国は、日本による植民地化の圧力にさらされていました。日本は、1905年に韓国の外交権をうばって保護国にし、韓国統監府を置きました。初代の統監には伊藤博文が就任しました。

1907年には韓国の皇帝が退位させられて、軍隊も解散させられました。韓国の国内ではこうした動きに対する抵抗運動が広がり、日本によって解散させられた兵士たちは農民とともに立ち上がりました(義兵運動)。これは日本軍に鎮圧されましたが、日本の支配に対する抵抗はその後も続けられました。

1910年、日本は韓国を併合しました(韓国併合)。韓国は「朝鮮」と呼ばれるようになり、首都の「漢城」(ソウル)も「京城」と改称されました。また強い権限を持つ朝鮮総督府を設置して、武力で民衆の抵抗をおさえ、植民地支配を推し進めました。学校では朝鮮の文化や歴史を教えることを厳しく制限し、日本史や日本語を教え、日本人に同化させる教育を行いました。植民地支配は1945年の日本の敗戦まで続きました。

東京書籍の中学歴史教科書が描く「対米戦争の開始」

日本の南進

イギリスやフランスなどがドイツとの戦争で劣勢におちいると、日中戦争が長期化していた日本は、近衛内閣の下、これらの国々の植民地がある東南アジアに武力による南進を始めました。援蒋ルートを断ち切るとともに、石油やゴムなどの資源を獲得しようとしたのです。

日本は1940年9月、フランス領インドシナの北部に軍を進め、次いで日独伊三国同盟を結びました。さらに、1941年4月に日ソ中立条約を結び、日本の北方の安全を確保したうえで、同年7月にフランス領インドシナの南部へも軍を進めました。

こうした動きと合わせて、日本は「大東亜共栄圏」の建設を唱えました。それは、日本の指導の下、欧米の植民地支配を打破し、アジアの民族だけで繁栄しようという主張でした。

日米交渉の決裂

日本が侵略的な行動を取る中で、日米関係は悪化していきました。近衛内閣は、アメリカとの戦争をさけるために1941年4月から日米交渉を行いましたが、軍部の要求などもあって、南進を止めませんでした。

フランス領インドシナの南部へ軍を進めた日本に対して、アメリカは石油などの輸出禁止にふみ切り、イギリスやオランダも同調しました。戦争に不可欠な石油を断たれた日本では、このように日本を経済的に封鎖する「ABCD包囲陣」を打ち破るには早期に開戦するしかないという主張が高まりました。

日米交渉の席でアメリカが、中国とフランス領インドシナからの全面撤兵などを要求すると、近衛内閣の次に成立した東条英機内閣と軍部は、アメリカとの戦争を最終的に決定しました。

その他、東京書籍の歴史教科書で気になった箇所

尖閣、竹島、北方領土についてコラムで取り上げられているが、日本の領有権が主張されておりまともだった。

いわゆる南京大虐殺については、

日本軍は、1937年末に首都の南京を占領し、その過程で、女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました

とある。被害者数は確定していないと注釈されている。

講評

全体的に日本が行った行動は、軍事的・強圧的だとして、悪く見えるように印象操作されている。大東亜共栄圏についても、アジアの民族「だけ」と書くことで利己的な印象を与えているように見える。

中韓に土下座したい気分にさせる教科書だ。

自虐史観度 ★★★★★

教育出版の中学歴史教科書

教育出版の中学歴史教科書が描く「沖縄県の設置」

領土の画定と沖縄県

琉球王国は江戸時代以来、薩摩藩の支配下にありましたが、同時に清にも朝貢していました。政府は、琉球を日本の領土にしようと、まず琉球藩をおき、台湾に漂着した琉球の人々が殺害された事件を理由に、1874年、台湾に出兵しました。1879年には軍隊を送って琉球藩を廃止し、沖縄県を設けました(琉球処分)。

歴史の窓 琉球処分~琉球王国の終わり(※コラム)

廃藩置県によってすでに国内から藩がなくなった1872年、一つの藩が新設されました。琉球藩です。琉球国王の尚泰は、琉球藩王とされました。1875年、政府は琉球の代表を上京させ、清との関係を絶つように求めましたが、琉球側は強く抵抗しました。説得に応じない琉球側に対し、1879年、政府は武力で首里城を占領し、廃藩置県を断交しました。琉球王国は崩壊し、尚泰は東京に移住させられました。

教育出版の中学歴史教科書が描く「韓国併合」

韓国併合

日本は、ポーツマス条約を結んでまもなく、韓国を保護国としました。韓国の外交権を握り、韓国に統監府をおいて、統監が外交を監督しました。初代の統監は、伊藤博文でした。日本は、やがて韓国の内政の実権も握り、軍隊を解散させるなど、韓国に対する支配を強めました。国としての権利をうばわれた韓国では、武器を取って日本と戦う義兵などの抵抗運動が広がりました。

日本はその抵抗をおさえ、1910年、韓国を領有して朝鮮と改めました。これを韓国併合といいます。日本は、朝鮮に朝鮮総督府をおき、武力を背景に植民地支配を行いました。

日本の植民地政策

朝鮮では、朝鮮の人々を、天皇や国家に忠誠を誓う日本人と同じようにする、同化政策が進められました。学校では、朝鮮語や朝鮮の歴史より、日本語や日本の歴史、修身が重視されました。

また、土地調査事業が行われた結果、近代的な土地所有権が確立されました。土地の払い下げなどを受け、朝鮮で大土地を所有する日本人の地主も現れた一方で、朝鮮の小作人などの農民は生活が苦しく、農村を離れたり、日本や満州に移住したりする人々もいました。

教育出版の中学歴史教科書が描く「対米戦争の開始」

日本の南進と日米の対立

中国との戦争が長引いていた日本は、行きづまりを打開するため、1940年、フランス領インドシナ北部への侵攻を始めました。これは中国を援助しているアメリカやイギリスの補給路を絶ち、あわせて石油やゴムなどの資源を得ることをねらいとしていました。

さらに日本は、三国防共協定のつながりを強めるとともに、アメリカの参戦をおさえるため、ドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結成しました。そして、アジアから欧米の勢力を追い出し、アジア民族だけで繁栄していこうとする「大東亜共栄圏」を提唱しました。翌年には、北方の安全を確保しながら南進を続けるため、ソ連と日ソ中立条約を結びました。

日本がインドシナ南部に侵攻すると、アメリカは日本への石油・鉄などの輸出を禁止し、イギリスやオランダも協力して、日本を経済的に孤立させようとしました。国内では、この「ABCD包囲網」を打ち破るには早期の開戦しかない、という強硬論が高まりました。この緊張の解決のために日米交渉が続けられましたが、アメリカは、中国や東南アジアからの日本軍の撤兵を求めたことから、交渉はなかなかまとまりませんでした。

太平洋戦争の始まり

1941年10月、陸軍大臣の東条英機が首相になると、政府は戦争の準備を進め、昭和天皇が臨席する御前会議で開戦を決定しました。(以下略)

その他、教育出版の歴史教科書で気になった箇所

朝鮮の三一独立運動の項に、「1919年3月1日、京城で朝鮮の独立が宣言され、人々が『独立万歳』(※マンセーのルビあり)を叫んで行進したのをきっかけに、・・(略)」とある。

南京大虐殺については、

首都の南京では、捕虜や住民を巻き込んで多数の死傷者を出しました

とある。注釈には、犠牲者の数などについては、さまざまな説がありますと書かれている。

講評

東京書籍と代わり映えのしない自虐史観。朝鮮の三一独立運動は、朝鮮の人々が「独立マンセー」と叫んで行進したのをきっかけに開始されたとあるが、わざわざ万歳にマンセーとルビをふる必要があるのだろうか?そもそも、何と人々が叫んで運動が開始されたか書く必要が乏しい。

太平洋戦争の始まりの箇所では、わざわざ開戦の御前会議に昭和天皇が臨席していたと書き、天皇=軍事的存在とする印象操作が行われている。

自虐史観度★★★★★

清水書院の中学歴史教科書

清水書院の中学歴史教科書が描く「沖縄県の設置」

沖縄県の成立

琉球王国は、日本と清の両方に属していたが、明治政府は1872年にこれを琉球藩とし、清に対しては琉球が日本に属することを認めさせようとした。そして、1875年には琉球から清への使節派遣を停止することを命じた。さらに1879年、琉球を沖縄県とする布告を発して、政府が派遣した役人を中心とする新たな体制のもとで政治をおこなうこととなった。

ただし、租税制度や町や村にあたる地方のしくみについては、すぐに変えない方針を取った。そのため沖縄県では、議会を通じた政治への参加が、ほかの府県よりも遅れることとなった。

清水書院の中学歴史教科書が描く「韓国併合」

朝鮮の植民地化

日露戦争に勝った日本は、韓国の植民地化を進めた。1905年に外交権をうばって統監府をおいて保護国とした。韓国では抵抗運動が広がり、独立運動家の安重根は、初代統監の伊藤博文を中国東北部のハルビンで暗殺した。韓国の皇帝も国際的な世論に訴えようとしたが、欧米の列強に無視された。1910年に日本は韓国併合を強行し、朝鮮総督府をおき、武力によって支配しようとした。総督府は土地調査をおこない、村の共有地などを国有地とした。植民地の人びとも大日本帝国の臣民とされたが、日本人と同等の権利はもてなかった。

清水書院の中学歴史教科書が描く「対米戦争の開始」

日米関係の悪化

日中戦争が続くなか、中国を支援するアメリカ・イギリスと日本との関係は悪化していた。日本は石油・鉄などの重要な資材や原料の多くをアメリカから輸入していたため、このことは大きな問題であった。そこで、資源を確保するため、フランスやオランダが東南アジアにもつ植民地をうばって、日本の勢力を南方に拡大しようという主張がさかんになった。そして南方進出をおこなうため、北方の安全の確保をはかろうと、1941年4月にソ連とのあいだで日ソ中立条約をむすんだ。

日中戦争が長引くなかで、日本はアメリカなどが中国を援助するための輸送路を断つことを目的に、フランス領インドシナ北部に進駐した。緊張が高まったアメリカとの間で外交交渉がおこなわれたが、1941年6月、ドイツとソ連の戦争がはじまると、日本はインドシナ南部にも軍を進駐させた。これに対し、アメリカは石油などの対日輸出を禁止した。その後もアメリカとの交渉は続いたが、日本の軍部は石油が欠乏する前に南方の資源を確保するために、アメリカやイギリスと開戦すべきだと主張した。

日本がアメリカやイギリスを相手に戦争をおこなうことは国力を考えれば無謀であった。しかし、陸軍大将の東条英機が首相となり、撤兵をせまるアメリカとの交渉を打ち切って開戦にふみきった。

その他、清水書院の中学歴史教科書で気になった箇所

いわゆる南京大虐殺について、

南京占領の際には、兵士のほか、捕虜や武器を捨てた兵士、老人・女性・子どもを含む非戦闘員も無差別に虐殺され

とある。

講評

沖縄に関しては、無駄に沖縄の人々の被害者感を煽ること無く書いている。日米開戦についても、淡々と書いており、読みやすい。

しかし、南京大虐殺に関しては、事実か疑わしい日本の悪事が書かれており、自虐史観的である。ここでは紹介しなかった箇所にも自虐史観的な記述は多数ある。

自虐史観度 ★★★

 

帝国書院の中学歴史教科書

帝国書院の中学歴史教科書が描く「沖縄県の設置」

琉球から沖縄県へ

江戸時代の琉球は、幕府や薩摩藩の支配を受ける一方、清から国王が任命され、欧米諸国からも独立した国王と認められていました。新政府は、琉球を日本領に組み入れようと、1872年に琉球藩を設置しました。これに対して、琉球は清との関係と王国を維持しようとし、清も琉球藩の設置を認めませんでした。しかし1874年、清領の台湾で琉球の漂流民が殺される事件が起こると、新政府は出兵して清から賠償金を獲得しました。さらに1879年、軍隊や警察の力を背景に新政府は琉球藩を廃止して沖縄県を設置しました。1895年には尖閣諸島も沖縄県に編入しました。新政府はしばらくの間、学校教育を除いて、琉球王国時代の政策を維持し、米や砂糖などを年貢として納めさせました。農民は、王国時代と変わらない税制に苦しみ、税制の改正や参政権を求める運動も起こしました。また、日本と清は、琉球の所属問題や朝鮮をめぐる問題などで対立するようになりました。

帝国書院の中学歴史教科書が描く「韓国併合」

変わるアジアの意識

日本が日露戦争に勝利したことは、植民地支配に苦しむアジアの人々に、近代化や独立への希望と自信を与えました。そのため、アジア諸国から日本へ留学・亡命する人が増えました。一方、日本人の間には、日清・日ロ戦争に勝利したことなどによって、日本人はアジアの中ですぐれていると考える人が増えてきました。そして、アジア諸国の期待とは異なり、日本は韓国の植民地化を進め、陸軍・海軍の軍備を増強させるなど、帝国主義国としての動きを活発にしていきました。

韓国併合と植民地・「満州」での政策

1905年、日本は韓国を保護国として外交権を日本の支配下におき、伊藤博文を韓国統監として派遣しました。のちには内政も支配し、韓国の軍隊・警察を解散させました。このため韓国では、兵士らによる激しい抵抗が各地に広がり、1909年には伊藤が暗殺される事件も起こりました。翌10年、日本は韓国を併合し、植民地としました(韓国併合)。韓国を朝鮮と改め、軍人の朝鮮総督をおいて支配し、首都漢城(現在のソウル)も京城と名を変えさせました。日本の支配に対する朝鮮民衆の抵抗は、その後も続きました。

朝鮮では、近代化が進められ鉄道などが整備される一方、学校で日本語や日本の歴史・地理が教えられ、朝鮮の文化や歴史を教える機会は減らされました。また土地調査の結果、所有者があいまいな土地は没収されたため、小作人となる者や、日本や「満州」へ移住せざるをえない者が出ました。(以下略)

帝国書院の中学歴史教科書が描く「対米戦争の開始」

日米交渉の決裂

日本は、1940年にドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結びました。この同盟の目的は、ドイツとイタリアがヨーロッパで、日本がアジアで指導的地位につくために協力し合うことでした。これらの国々を枢軸国といいます。これに対して、アメリカのローズベルト大統領は、イギリスのチャーチル首相とともに翌41年8月に大西洋憲章を発表し、民主主義を守り、領土の拡張や変更を否定する考えを示しました。この考えに賛同した国々は連合国とよまれました。

こうした動きと並行して、1941年4月から日本とアメリカの間で、戦争を避けるための交渉が進められていました。しかし同じ4月に日本はソ連と日ソ中立条約を結び、北方の安全を確保したうえで、7月には石油などの資源を求めて、さらに東南アジアへ軍隊を進めようとしました。すると、アメリカは、日本への石油や鉄の輸出を制限し、イギリス・オランダなどと協力して経済的に孤立させようとしました(ABCD包囲網)。加えてアメリカは、中国を満州事変前の状態に戻すことなどを求めたため、交渉は決裂し、東条英機内閣と軍部はアメリカと戦う姿勢をかためました。

その他、帝国書院の中学歴史教科書で気になった箇所

南京事件についてはシンプルに、

南京では、兵士だけでなく多くの民間人が殺害されました

とある。

帝国書院は満州について記す際に、なぜか「満州」という風に満州だけカッコでくくっている。

また、このようにキャラクターが中立を装って自虐思考を生徒に促している。

自虐史観をうながす帝国書院のキャラクター

講評

沖縄についての描写は、沖縄島民の被害者面に焦点が当てられ、自虐史観的。

韓国併合に関しても、日露戦争の後、「アジア諸国の期待とは異なり、日本は韓国の植民地化を進め」とあるが、「アジア諸国の期待とは異なり」という部分は他の教科書に見受けられない自虐描写。

韓国併合後、朝鮮の文化や歴史を教える機会は減ったとあるが、併合された国なんだから当たり前のことではないだろうか?日本が併合時に学校を増やした点などには触れず、無理やり悪い点を書こうとしているようで気分が悪い。

「所有者があいまいな土地は没収されたため、小作人となる者」が増えたとあるが、文章の前後の因果関係が不明である。

満州をカッコでくくって記載するのは、満州が国家ではなかったという意思表明なのだろうか?不自然である。

対米戦争開始に関しては、帝国書院の教科書だとなぜ昔の日本人がアメリカと戦争を始めたのか全然わからない。自虐かどうか以前に描写が足りていないダメな教科書。

自虐度 ★★★★★

育鵬社の中学歴史教科書

育鵬社の中学歴史教科書が描く「沖縄県の設置」

清と沖縄

1871年、日清修好条規が結ばれ、清との正式な国交が始まりました。しかし一方で、台湾に漂着した琉球の漁民の殺害事件に対し、清が事件に責任を負えないとしたことから、わが国が台湾に出兵する事件もおきました。

琉球については、日本政府が1872年に琉球国王の尚泰を琉球藩王として、琉球が日本領土であることを確認し、1879年に琉球を沖縄県としました(琉球処分)。

育鵬社の中学歴史教科書が描く「韓国併合」

韓国併合

日露戦争が始まると、日本は、その武力を背景に、韓国と日韓議定書を結びました。これは韓国の領土を他国(ロシア)からも守るため、日本軍が韓国内に展開することを認めるという内容のものでした。

また、日露戦争中には、アメリカのフィリピン領有と、日本の韓国保護国化をたがいに支持する内容の合意が日米間で成立しました。さらに、更新された日英同盟や、ポーツマス条約でも、韓国に対する日本の保護権が認められました。その後、日韓協約に従って、日本が韓国の外交権をにぎることになり、韓国統治府を置き、初代統監として伊藤博文が赴任しました。やがて統監の権限は内政にまでおよぶことになりました。これに対し、韓国から抵抗運動もおこりましたが、鎮圧されました。

1909年、伊藤博文が満州で韓国人の安重根に暗殺される事件がおこりました。1910年、政府は韓国併合に踏み切り、その統治のために朝鮮総督府を置きました。欧米列強にも、朝鮮半島の問題で日本に干渉する意図はありませんでした。

わが国の朝鮮統治では、併合の一環として近代化が進められましたが、米の作づけが強いられたり、日本語教育などの同化政策が行われたので、朝鮮の人々の日本への反感は強まりました。

育鵬社の中学歴史教科書が描く「対米戦争の開始」

悪化する日米関係

日中戦争が始まってから3か月後の1937年10月、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは議会での演説で、無法な国を世界から隔離すべきだと、日本を非難しました。

わが国は石油などの重要な物資をアメリカからの輸入にたよっていましたが、アメリカは、1939年に日米通商航海条約の廃棄を通告し、対日輸出制限を強化しました。

そのため、わが国でも軍部を中心に、重要資源を産出する東南アジアに進出しようという南進論が唱えられるようになりました。

しかし、この南進論は、東南アジアに植民地をもつアメリカ、イギリス、オランダ、フランスとの対立を深めることを意味していました。

結局、わが国は1940年、アメリカ、イギリスによる中国への軍事援助ルートを断ち切ることによって日中戦争を有利に進めようとし、フランス領インドシナ北部に兵を進めました(北部仏印進駐)。これに対してアメリカは、日本への鉄などの輸出を禁じました。

ドイツの攻勢

(省略)

日独伊三国同盟

ドイツの快進撃に目をうばわれた日本政府は、1940年、日独伊三国同盟の締結に踏み切りました。さらに米英に圧力をかけて譲歩させるため、ソ連を含めての四カ国協商を結ぼうとして、日ソ中立条約を結びました。しかし、ドイツが日本に事前の協議もなく、不可侵条約を破ってソ連に攻めこんだことでその期待は裏切られました。

また、三国同盟の最大の敵国はイギリスだったため、すでにイギリスと事実上の同盟関係にあったアメリカとわが国の関係は決定的に悪化しました。

日米交渉の破たん

1941年4月、悪化の一途をだどる日米関係を修復するため、ワシントンで日米交渉が始まりました。アメリカは日独伊三国同盟を敵視し、中国で蒋介石政権を支援していたため交渉は難航しました。

当時のわが国は、使用する石油の多くをアメリカから輸入し、一部をオランダ領東インド(現在のインドネシア)から輸入していました。しかし、三国同盟によってオランダとの関係が悪化し、石油・ゴムなど重要物資のインドネシアからの輸入が困難になりました。そこで日本政府は、東南アジア産出の重要物資を確保するため、フランス領インドネシア南部に軍を進めました(南部仏印進駐)。

これに対しアメリカは、国内にある日本の資産を差しおさえるとともに石油の対日輸出全面禁止に踏み切り、日米の対立は決定的なものになりました。

また、アメリカは、イギリス、中国、オランダとともにわが国を経済的に圧迫し、封じこめを強化しました。

首相の近衛文麿は、アメリカ大統領ルーズベルトとの会談を提案しましたが実現せず、開戦に消極的だった海軍も石油問題に危機感を強めていきました。

真珠湾攻撃

日米交渉が行きづまるなか、軍部では対米開戦も主張されるようになりました。1941年11月、アメリカは、中国やインドシナからの日本軍の無条件即時撤退、蒋介石政権以外の中国政権の否認、三国同盟の事実上の破棄などを要求する強行案(ハル・ノート)を日本に提示しました。東条英機内閣は、これをアメリカ側の最後通告と受け止め、交渉を断念し、開戦を決断しました。

その他、育鵬社の歴史教科書で気になった箇所

日中戦争については、当時「支那事変」と呼ばれたと注釈がある。中国は当時まだ建国されていなかったのだから、日中戦争という呼称は変だ。

南京事件についての記事はない。

ハル・ノートについて記述があり、日本が対米開戦に消極的だったことが読み取れるようになっている。

講評

育鵬社は「新しい歴史教科書を作る会」から分離してできたフジサンケイグループの会社。

日本を必要以上に悪く書かず、世界の動きもバランスよく描いていてわかりやすく読みやすい。ハル・ノートについて記述があるのもよい。

愛国度 ★★

自由社の中学歴史教科書

自由社の中学歴史教科書が描く「沖縄県の設置」

台湾出兵と琉球処分

日本は、清との国交樹立のため、1871年、国際法の原理に基づく、両国対等の関係を定めた日清修好条規を結んだ。

琉球は、江戸時代から清と日本の両方に服属していた。同じ1871年の7月、日本政府は琉球を鹿児島県の管轄に置いた。同年10月、琉球御用船が難破して台湾に漂着し、琉球島民(宮古島の住民)54人が現地人に殺害された。日本はその責任を清に問うたが、清は台湾の住民を「化外の民」(国家統治のおよばない者)であるとして、責任を回避した。そこで日本政府は、台湾の住民を罰するのは日本の義務であるとして、1874年、台湾に兵を送った(台湾出兵)。この衝突は、近代国民国家の概念をまだ十分に理解していない清と、日本との考え方の違いからおこった事件であった。

清との協議の結果、問題は解決したが、清はこれにより、琉球島民を日本国民と認めた。日本はそこで、1879年、琉球を正式に日本の領土とし、沖縄県を設置した(琉球処分)。日本はこうして、近隣諸国との間の国境をほぼ画定することに成功した。

自由社の中学歴史教科書が描く「韓国併合」

韓国併合

日本政府は、日本の安全と満州の権益を防衛するため、韓国の安定が必要だと考えた。日露戦争後、日本は韓国統監府を置いて保護国とし、近代化を進めた。日本の方針に反発した韓国皇帝は、ハーグ密使事件をおこした。欧米列強は、ロシアの北満州・蒙古、英領インド、米領フィリピンなど、自国の植民地支配を日本が承認するのと引きかえに、日本による韓国の保護国化を承認した。

1910年、日本は、武力を背景に韓国内の反対をおさえて、併合を断行した(韓国併合)。韓国の国内では、民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこった。

併合後におかれた朝鮮総督府は、植民地政策の一環として、朝鮮の鉄道・灌漑施設をつくるなどの開発を行い、土地調査を実施した。また、学校も開設し、日本語教育とともに、ハングル文字を導入し教育を行った。

自由社の中学歴史教科書が描く「対米戦争の開始」

悪化する日米関係

1938年、近衛文麿首相は、東亜新秩序構想の声明を発表した。東亜とは、日本、満州、中国を含む地域を指し、ここに日本を中心とした独自の経済圏をつくるという構想だった。

国内の不況が長引くアメリカは、門戸開放、機会均等をとなえて近衛声明に強く反発し、日本が独自の経済圏をつくることを認めなかった。これまで、表面上は中立を守っていたアメリカは、この前後から、中国の蒋介石を公然と支援するようになり、日米戦争の種がまかれた。1939年、アメリカは日米通商航海条約を延長しないと通告した。石油をはじめ多くの物資をアメリカの輸入に依存していた日本は、苦しい立場に追いこまれた。

日本の陸軍には、北方のロシアの脅威に対処する北進論の考え方が伝統的に強かったが、このころから、東南アジアに進出して石油などの資源を獲得しようとする、南進論の考えが強まっていった。しかし、日本が東南アジアに進出すれば、そこに植民地をもつイギリス、アメリカ、オランダ、フランスと衝突するのは避けられなかった。

ナチス・ドイツとヨーロッパの戦争

(省略)

日独伊三国同盟と日ソ中立条約

ドイツの勝利を受けて、日本は、1940年、イタリアを加えた日独伊三国同盟を締結した。しかし、遠いヨーロッパの2国との軍事同盟には、実質的な効用はなく、しかも、イギリスを支援するアメリカとの関係を決定的に悪化させた。

1941年4月、日本はソ連と日ソ中立条約を結び、2つの条約の圧力でアメリカから譲歩を引き出そうと考えた。しかし、同年6月、ドイツがソ連に侵攻し、ソ連は連合国側に加わったので、このねらいは破綻した。

経済封鎖で追いつめられる日本

日本は石油の輸入先を求めて、インドネシアを領有するオランダと交渉したが、成功しなかった。こうして、米・英・中・蘭の4か国が日本を経済的に追いつめる状況が生まれた。日本の新聞はこれを国名の頭文字から「ABCD包囲網」とよんだ。

1941年4月、悪化した日米関係を打開するための日米交渉が、ワシントンで始まったが、交渉はまとまらなかった。7月、日本の陸海軍は、インドネシアからの石油提供に関してオランダに圧力をかける目的で、仏印のサイゴン(現在のホーチミン)に入った(南部仏印進駐)。サイゴンは、日本が南進する場合に拠点となる軍事上の重要地点だった。アメリカは、在米日本資産を凍結していたが、さらに対抗して対日石油輸出を全面的に停止した。8月、米英両国は太平洋上で首脳会談を開き、大西洋憲章を発表して、領土不拡大、国境線不変更、民族自決など、両国の戦争目的と大戦後の方針をうたった。

ハル・ノートから日米開戦へ

経済的に追いつめられた日本は、アメリカとの戦争を何とか避けようと努力した。日本は、妥結しない場合は開戦するという決意のもとに日米交渉を継続した。しかし、アメリカは11月、日本に対して、中国、インドシナから無条件で全面撤退を求める強硬な提案文書を突きつけてきた。当時のアメリカのハル国務長官の名前から、ハル・ノートとよばれるこの文書を、アメリカ政府の最後通告と受けとめた日本政府は、対米開戦を決意した。

その他、自由社の歴史教科書で気になった箇所

南京事件の記述はなく、通州事件についての記述はある。ウォーギルトインフォメーションプログラムも取り上げられている。

講評

「新しい歴史教科書を作る会」の教科書。日本がかつてなぜそのように行動したのかがわかりやすく描かれている。これが右翼的と評されるのは信じられない。

通州事件やWGIPについて書かれているのはさすがである。

愛国度 ★★★★★

まとめ

産経新聞によれば、平成28年度の中学歴史教科書の部数は、

東京書籍 60万

帝国書院 21万

教育出版 16万

日本文教出版 11万

育鵬社 7万

だったそうだ。日本文教出版の教科書はこの記事で取り上げていないが、部数上位は自虐史観に基づいた歴史教科書に占められている。もっとも素晴らしいと感じた自由社の教科書はほとんど採択されていない。

実際に読んでいただけるとわかったと思われるが、自虐史観教科書ではなぜ過去の日本がそのような行動をとったのかがわかりにくいし、日本の悪さだけを取り上げて、他国の悪さを取り上げないのでバランスのとれた世界観を得られない。そして自虐的な気持ちになり、先祖が嫌いになる。

歴史教科書の採択は、育鵬社か自由社(つくる会)を推して、日本の若者が誇りを持って生きていけるように後押しをしてほしい。次に歴史教科書の採択があるのは2020年のようだ。

新しい歴史教科書をつくる会は、経営状況が厳しいようで寄付を募っているので篤志家は寄付されたい。

http://www.tsukurukai.com/kifu/index.html

こちらに「新しい歴史教科書をつくる会」が書いた各社の歴史教科書への講評がある。こちらも参考にされたい。

下図はいくつかのポイントに絞って、記載の有無を一覧表にしたものだ。こちらも参考にされたい。

中学歴史教科書ポイント別

韓国語読み・中国読みのルビ・・韓国人、中国人の名前や地名に韓国語、中国語の発音のルビがあるかをチェックしたもの。私はこれらは必要無いと考える。

日本が国際連盟に提出した人種平等案・・日本政府はかつて国際連盟に人種平等案を提出したが、アメリカのウィルソン大統領によって葬られた。このことを書くと、当時の日本政府が人種平等に熱心だったことがわかる。自虐史観系教科書はこういったかつての日本政府の良い点は書かない傾向にある。

関東大震災下の「デマによる」朝鮮人虐殺・・関東大震災時に流言によって朝鮮人が殺されたとされているが、全て流言だったかは議論の余地がある。多数の朝鮮人がいたのに、一人も震災に乗じて悪事をしなかったと考えるのは難しい。なのでこの件に関しては、一部デマがあったと書くべきだ。また、朝鮮人虐殺が記載されるのなら、戦後のドサクサで朝鮮人が行った悪事も書かないと不公平である。

支那事変・・支那事変を日中戦争と歴史教科書は記載するが、宣戦布告の無い戦闘であり、事変と書くのが正しいと私は考える。当時の名称「支那事変」を使用しないのはおかしい。

杉原千畝デマ・・杉原千畝が「外務省または政府に逆らって」ビザを発行しユダヤ人を救ったという美談はデマである可能性が高い。参考記事はこちら

樋口季一郎・・樋口季一郎はユダヤ人が亡命するのに手を貸した軍人だ。杉原には言及して、樋口には言及しないのは軍人の美談は一切載せないという偏向だと思う。

対米開戦を避けるための努力・・日本は米国との戦争を避けるために努力したが、米国がそれを許さず、しかたなく開戦した面がある。それにきちんと言及しているかどうかで歴史観は大きく変わる。

ハル・ノート・・日本が対米開戦を避けることを諦めるきっかけになった米国側が提示した無茶苦茶な要求。これについて言及があるのとないのとでは、日米開戦が日米のどちらに原因があるのかを考える際に結論が変わってきてしまう。

WGIP・・戦後、GHQによって行われた情報統制、洗脳であるが、自由社(作る会)の教科書にしか記載されていない。

本文中へのアニメ風挿絵・・教科書の本文にアニメ絵があるのは個人的には好きではないのでチェック項目に入れた。

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