1917年、ポルトガルのファティマに聖母が出現されて、三人の牧童に予言を伝えた。予言のうち第三の部分はあまりにも内容が恐ろしいためかバチカンが非公開にしてきた。
その間の経緯を長谷川良氏がブログに簡潔にまとめている。
参考記事:100年目迎える「ファティマの予言」
この記事によれば、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿は西暦2000年、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言していた」と公表し、直接マリア様に予言を聞いたルチア女史は、「第3の予言は喜ばしい知らせです。世界の終わりを告げたものでありません」と親戚関係者に漏らしたそうだ。
ネットでファティマの予言の第三の部分について検索しても、詳しい内容が出てこないが、青山圭秀氏が2000年に書いた小説「最後の奇跡」には、作品内でドイツの新聞が外交筋から入手したものとして掲載した内容が掲載されている。パウロ六世が1963年に予言の内容を主要国の首脳に送ったとも書かれているので、予言の内容が外交筋から漏れることはありうる。
※ドイツの新聞に掲載されていたという内容も、パウロ六世が第三の予言の内容を各国の首脳に送ったという事柄も小説のための作り話であるなら、以下の引用はただの創作という事になってしまうが、著者あとがきには「ここに用いた仙台の聖母出現は架空であるが、ルルド、ファティマ、秋田等、主要な御出現とそこにおける奇跡、メッセージの内容は、実際に報告されているものを用いた」とあるので、第三の予言とされる部分も、青山氏がどこかで手に入れたものではないかと考える。
以下、文庫本の266ページ引用。
『愛しいわたしの娘よ、心配はいりません。神の母であるわたしは、わたしの名において世界が次のことを知るよう、願っているのです。それにより、あなたは激しい敵意を買うことになるでしょう。でも、これからわたしの言うことに耳を傾け、深く心にとどめなさい。
人類は、善良にならなければいけません。これまでに犯してきた、そして今も犯し続ける罪の許しを、願わなければならないのです』
『さあ、いよいよわたしの名において、はっきり宣言するのです。
すべての人類の上に、大いなる罰が降りかかるでしょう。このことは、すでにラ・サレットで二人の子供を通じて告げましたが、今、あなたの前で繰り返します』
『人類は、神が期待されたようには進化しませんでした。御父に対する冒涜の態度をとりつづけ、今もなお、その恵みをないがしろにしています。
秩序の支配する場はどこにも見当たらず、悪魔(サタン)は国家の首脳さえ支配し、世界の行末を決定しています。サタンは実際、教会の最高位にまで首尾よく迎えられることでしょう。
サタンは偉大な科学者らをそそのかし、人類の大半を数分で滅ぼす兵器を開発させます。権力者を影響下におき、それを大量生産するように仕向けます。もし人類が拒否しないのであれば、わたしは、御子の怒りの腕を振り下ろさせないわけにはいきません。世界や教会の指導者たちがこの動きを阻止しないのであれば、その仕事はわたしが引き受けることになります。わたしは御父にお願いし、裁きが人類に下るがままにするでしょう。
そしてそのときは、よろしいですか、神はノアの大洪水よりも厳しく、仮借なく人類を罰したもうのです。偉大な者も力ある者も、とるに足らぬ者や弱い者と共に、非業の死を遂げるでしょう』
『教会にとっても、さらに厳しい試練の時がやって来ます。枢機卿は枢機卿に、司教は司教に対立し、サタンが彼らの真ん中に座るでしょう。ローマでも、大きな変化が次々と起こります。腐った者は倒れ、倒れた者は二度と起き上がれません。教会は暗黒に包まれ、世界中が突然、激しい恐怖に陥ります』
『そのとき、火と煙が天から降り注ぎ、海という海は水蒸気となって泡を吹き上げ、立っているものすべてが崩れ落ちます。何百万、何千万という人びとが死んでいき、生き残った者は死んだ者をうらやむことになるでしょう。地上は苦悩と悲惨に覆われ、国という国は荒廃するでしょう。
時はいよいよ迫り、地獄の淵は深まるばかりで、陥ったが最後、二度と救われる道はありません。善人は悪人とともに、大きい者は小さい者とともに、司教や枢機卿は信徒とともに、支配者は民とともに死ぬのです。サタンの手下や華々しい勝利を収めた「死」がいたるところで勢力をふるい、彼らが世の支配者となってしまいます。
それは、地上のいかなる王も皇帝も、司教も枢機卿も、決して望まぬ時となるでしょう。にもかかわらずその時は、御父の計画どおり、やって来ます』
『その後、すべてに耐えて生き残った人々がまだ生きのびているならば、彼らは神とその栄光を褒め讃えます。そして、かつて世界がそれほど堕落していなかったときのように、神に仕えるでしょう。
わたしは、わが子イエスに倣う人びと、真実なるキリスト教徒、現代に生きる使徒らに呼びかけます。もし人類が回心せず、この回心の動きが世の指導者と教会の指導者から起こらなければ、時の中の時が、終わりの中の終わりがやって来ます。
不幸にして、もしこうした回心が起こらず、すべてが今のままであるとすれば、いえそれどころかいっそう悪くなるとするならば、どんなことになるでしょうか。
わが娘よ、このことをはっきりと告げ知らせるのです。そのような終末の時も、わたしは最後まであなたの傍にとどまり、あなたを助けてあげましょう』
この予言(?)の内容は、ルチア女史の「第3の予言は喜ばしい知らせです。世界の終わりを告げたものでありません」という発言と食い違うが、もし本物だとすれば、バチカンが予言を秘匿したがった理由が説明できる(ルチア女史は、人々が心配しすぎないように表現を和らげた可能性もある)。
バチカンが隠匿したがった部分は、「サタンは実際、教会の最高位にまで首尾よく迎えられる」、「枢機卿は枢機卿に、司教は司教に対立し、サタンが彼らの真ん中に座るでしょう。」の部分で、信徒の離反やバチカンの権威の失墜を怖れたため公表しなかったのではないか。あるいはこの予言を読んだバチカン幹部は、当時、既に教会内部にサタンが忍び寄っているのを知っていたのではないか?
教会内部で性的虐待が多数行われてきたことが明るみに出ていることから、教会にサタンが巣食っていたと判断してもおかしくないだろう。英国カトリック教会のトップだったオブライエン枢機卿が性的虐待をしていたそうだし、バチカン(ローマ法王庁)で3番目の地位にあるジョージ・ペル枢機卿は性犯罪で起訴された。まさに「サタンが教会の最高位まで迎えられていた」と言えるだろう。
参考:鬼畜なローマ法王、カトリック神父による2000件以上の幼児性虐待事件を庇い続ける
wikipediaによればこうした事柄が明らかになり始めたのは2002年以降であり、2000年に小説を上梓した青山氏がニュースを読んで、予言の内容を創作したとは考えにくい。
予言の中の、「悪魔(サタン)は国家の首脳さえ支配し」の部分は様々な解釈が可能だろう。不可解な戦争を行ってきたアメリカ政府がそうなのかもしれないし、もっと他の政府首脳がそうなのかもしれない。
参考記事:世界で一番長いトンネル(Gotthard Tunnel)の完成はどのように祝われたか?
予言が示唆する第三次世界大戦的な描写、「火と煙が天から降り注ぎ、海という海は水蒸気となって泡を吹き上げ、立っているものすべてが崩れ落ち」、「何百万、何千万という人びとが死」ぬの部分は、回避されたのか、それともまだ保留中の状態にあるのかわからないが、非キリスト教である我々も回心をし、善行をこころがけるべきだろう。
菊谷泰明氏が紹介するファティマ第三の予言(追記)
菊谷泰明氏が著作「聖母マリアからのメッセージ」で、2000年6月26日に教皇ヨハネ・パウロ二世が発表した第三の秘密(予言)を紹介している。
それをこちらに転載したい。
イエス、マリア、ヨセフ。
1917年7月13日に、ファティマのコーワ・ダ・イリアにおいて啓示された秘密の三番目。
レイリアの司教と聖母マリアを通して、私に命じられる神への従順として書き記します。
既に書いた二つの秘密に関する出来事の後、私は、聖母の左側の少し上の所に、左手に燃え立つ剣を持った天使の姿を見ました。その剣は光り輝き、あたかも世界に火が放たれるかのように炎を上げていました。しかし、聖母が天使の方に右手を差し伸ばして発せられた光によって、その炎は消えてしまいました。すると、天使は右手を地上に向けて、大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。
その時、ものすごい光(それは神なのですが)の中に(何か、人が鏡の前を通る時、その姿が鏡に映るのと同じような感じで)、白い服をまとった一人の司教の姿が見えました。(それは教皇のように感じられました)。その他に何人もの司教や司祭、修道士や修道女達が険しい山を登っていました。そして、その頂上には、樹皮の付いたコルクの木のような、荒削りの丸太で作られた大きな十字架が立っていました。教皇はそこにたどり着く前に、半ば廃墟と化した大きな町の中を通られました。そして、そこで立ち止まって身震いされ、苦痛と悲しみに打ちひしがれておられましたが、その通りすがりに出会う死者の魂のために祈られました。
教皇は山頂に到着して、大きな十字架のもとで跪かれました。その時、兵士の一団が教皇に向けて発砲し、また矢を放ち、教皇は殺されました。同じように、他の司教や司祭、また修道士や修道女、そして様々な身分や立場にある多くの信徒達も次々に殺されていきました。十字架の二つの腕の下には、二人の天使がいて、それぞれが手に水晶の聖水入れを持っていました。そして、その中に殉教者達の血を集め、神に向かって進んでいく魂達に、それを振りかけていました。
トゥイにて 1944年1月3日