「科学で説明できないもの」は科学が否定できたものではない

「科学が証明できないもの=インチキ」ではない

現代の科学で説明できない、あるいは証明できない事柄は、「科学が否定できた事柄」ではない。

例えば、幽霊の存在を科学は説明(証明)できていないが、これは科学が幽霊の不在を証明したわけではなく、現代科学では、幽霊の存在はいるともいないとも言えない状況だということを表している。

しかし、なぜか現代社会では、「科学で説明できていないこと」を「科学が否定できたこと」だと捉えたがる

そして、「科学で説明できていないこと」は霊性や宗教の分野に多いのだが、それらをすべて詐欺や妄想の類だと思いたがる人が多い。これは高学歴の人にも多い。実際には霊性や宗教の分野もぴんきりで、偉大なものから、ただの詐欺や妄想まで様々である。

なぜこんなことを今さら書くかといえば、女系天皇を肯定しようとしている人たちが、限界のある人間の理性だけで判断しようとしているからだ。そこには、人間の知性では捉えられないものに対する恐れや配慮がない。

現代科学や現代科学に依拠した理性では、「天皇陛下が男系でなければならない」とは言えない。しかし、このことは、現代科学が皇統が男系であることは無意味だと証明できたことにはならない現代科学が皇統は女系でもよいと言ったことにはならない。現代科学は、皇統が男系でなければならないのか、そうでなくてもいいのか判断できない状況なのである。

私は皇統は男系を守ったほうがよいと考える。なぜなら、現代の私達の知性では計り知れない何かが、皇室の父親由来の遺伝子には存在していて、それが日本を護っている可能性があるからである。

日本を統べる神々が、皇室の父親由来の遺伝子の持ち主だけを天皇陛下だと認証しているかもしれない。そして日本を守る八百万の神々に認められた者だけが新天皇となり、国家を精神的に、あるいは広義の祭祀として統べることが、日本にとって大きな加護となっているのかもしれない。

皇室の男系由来の遺伝子を持たない人間が新天皇となったときに、我々には見えない世界で、その新天皇が新天皇として霊的に機能せず(神々に認められず)、日本を護っていた霊的な力が失われるというようなことがあるかもしれない。

であるから、私は慎重に、伝統を守って、皇室は男系でいくべきだと考える。

この慎重策を採用した場合に追加でかかるコストはないし、損失もない。しかし、女系天皇(?)を採用した場合の、霊的な分野まで考慮に入れた損失がどれくらいなのか、我々にはわからない。女系天皇を採用した場合でも、これといって何も起こらないのかもしれないし、決定的に大切な何かが失われ、日本が大損害を被るかもしれない。なんとも言えないのである。

ならば、損をする可能性がある博打をするより、慎重に現状維持をした方が合理的である。

男女の役割は異なっている

人間が現在持っている理性は、というか、我々が受けたある種の洗脳においては、男女の社会的な役割は平等だとされているが、古来からある宗教や霊性の分野ではそうは言ってない。男女は異なったダルマを持つし、多くの宗教で祭祀は男性が取り持っている。

皇室が女系でもよいと考えている人たちは、目に見えないもの、科学がまだ到達できてない深淵な知に対する配慮が足りないのではないかと思う。

結論:天皇陛下が男系であったほうがよい根拠

一般的な政治的に保守の方は、天皇陛下が男系であるべき根拠として下記の事柄を挙げる。

  • 歴代の天皇が全て男系であったから
  • 男系であることそのものが天皇陛下の定義になっているから

私はさらに下記の根拠を付け加えたい。

  • 天皇家の男系の遺伝子には、現代科学では説明しきれない何かがあるかもしれないから
  • そしてその何かが日本の護持に役立っている可能性があるから

スピリチュアル分野の人が女系天皇でもよいと言ってしまうことについて

またスピリチュアルな分野に精通した人(?)が、スピリチュアルな観点から女系天皇を肯定している場合もあるが、これもやはりいかがなものかと思う。

愛知県にスピリチュアリズム普及会という団体があって、私はこの団体に敬意を払っている。絶版になった霊性に関する優れた書籍を再発売したり、ネット上で誰でも読めるようにしたりしていて、まさにスピリチュアリズム普及に役立っているからだ。

しかし、この団体の方が、コラム(スピリチュアリズムと天皇・天皇制について)でスピリチュアリズムの観点からすれば、女系天皇でもよいと書いていた点はいかがなものかと思った。一部引用すると、

世俗の政治権力を超越したところで国民の幸せを祈り、国民の心を一つにするというシンボル的な元首にこそ存在意義があるのであって、それこそが“真の象徴天皇”に他なりません。そうした天皇であるなら、世襲かどうかは本質的な問題ではないのです。

したがって将来、女性が天皇になっても、また女系天皇が擁立されることになってもかまわないということです。象徴としての天皇が現実に存在し、国家と国民の幸福のために祈り続けているというところに、天皇制の“真の存在意義”があるのです。

皇室典範は、従来の血縁信仰に基づく考えを原則としています。血縁信仰という物質次元の考え方を土台とする法律です。人間がつくった神の摂理に反する法律なのです。皇室典範の第1章・1条では、「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と規定していますが、「霊的観点」から言えば、天皇を男系に限定する必要はなく、男子にこだわる必要もありません。摂理に反する皇室典範は、変更すべきなのです。

これを書いている方も、現代科学信奉者と同様に、「自分に見えているものだけが世の中に存在している」のだと錯覚しているように思う。男系による継承を、「血縁信仰という物質次元の考え方を土台とする」もので神の摂理に反していると書いているが、どれだけ世界のローカルな神々が物質的な好き嫌いをしていることか!

我々はお寺や墓で線香をたむけるが、それは仏様や霊が線香の匂いという物質次元のものを好むからである。神々や霊が物質的なものにこだわったりしないに違いないと考えて、煙が出るものなら何を備えてもよいわけではないのである。手ぶらで行っても、お供えをしても同じではないのである。

インドの神々は儀式で、甘いものやシルクの着物が備えられるのを好む。浅草の待乳山聖天の仏様(神様?)は大根を好む。

神々にも階層があって、ローカルな神々は物質的なものに対して、好みがあることがあるのである。だから、同じように特定の遺伝子が神々に選ばれている可能性も考慮に入れるべきで、一刀両断に「スピリチュアリズムの観点では男系にこだわる必要なし」と言い切ってしまうのは、私は軽はずみだと思うのである。

スピリチュアリズムを信奉する人には、スピリチュアリストでありながら、保守思想家でもある矢作直樹氏の「天皇」をおすすめしたい。この方は、東京大学医学部付属病院の救急治療科の部長をされていた方で、平成天皇の治療にも携わったことがある人だ。矢作氏の著作は、天皇陛下の霊的な意味にも言及があり、よい本だと思う。