ユダヤ人が世界で果たしてきた役割に焦点を当てた本を読むと、ユダヤ人は以下の行動パターンを繰り返してきたことがわかる。
- 国家や共同体に入り込んで内側からその集団を破壊する。
- 甘やかされると逆につけあがる。
- 国外に追い出されても、ユダヤ人だけで暮らすことはせず、必ず他民族の集団に入り込んで暮らそうとする。
- 国家や共同体で悪さをしすぎて、弾圧されたり駆逐される。あるいは職業を制限される。
これがいつから繰り返されてきたかといえば、キリストが誕生する前からである(ユダヤ人と呼ばれる前はカナン人と呼ばれていた)。
ユダヤ人はなぜか、他民族の中に入り込んで生活することを好む。ユダヤ人だけの国(たとえばイスラエル)ができたとしても、そこに居住するのは一部だけである。ユダヤ人は他民族の中で生活することを好みつつ、他民族とは融和せず、内心、他民族を見下して憎みながら暮らす。共同体内で地歩を築いては、その共同体を内側から破壊していく。人々を道徳的に堕落させ、最終的には他国からの侵略を引き起こす。あるいは、国家の中枢に食い込んで、国と国を争わせる。こうしたユダヤ人の悪行に気づいた国家は、ユダヤ人を殺したり、国外に追放する。しかし、数十年経つと、ユダヤ人に篭絡される者が現れて、ユダヤ人は再び戻ってくる。ユダヤ人を共同体内に抱えて、うまくやってきた国は、たいていユダヤ人の権利を制限している。ユダヤ人を保護し、特別扱いした国では、ユダヤ人は増長し、その国家を壊してしまう。
しかしユダヤ人の負の側面を描いた書籍は、絶版になりがちで、こうした歴史はあまり知られていない。こうした事柄を描くと人種差別主義者と呼ばれたり、陰謀論者と呼ばれたりする。
この記事では、ユースタス・マリンズの「真のユダヤ史」から、歴史の中でユダヤ人がしてきたこと、されてきたことを一部抜粋して紹介したい。
ユースタス・マリンズは「ユダヤ人は、われわれがこの世にとどまるあいだに超克するように求められている動物的な誘惑のすべてを代表している」と書いているが、確かに一部のユダヤ人は、デヴィッド・R・ホーキンズが言うところのルシファー的な悪を体現しているように思う。
デヴィッド・R・ホーキンズが語る二種類の悪(ルシファーとサタン)の違い
歴史の中のユダヤ人
ユダヤ人は古代、ヘブライ人と呼ばれていた。ヘブライ人の語は、たいてい、人殺しや盗賊を意味する語(sa-gaz)とセットで使われていた。
古代エジプトがヒクソス族の侵攻を受けて滅びた(紀元前18世紀頃)。エジプト内のユダヤ人がヒクソス族の侵攻を手助けした(?)。紀元前1542年頃、エジプト人が立ち上がり、ヒクソス族を追い出す。その後、背信行為の罰としてユダヤ人は終身奴隷となった。
紀元前1230年頃、奴隷生活から抜け出したいユダヤ人はファラオに国外に出ることを願い出て許可される。
紀元前586年、バビロニア帝国のネブカドネザル王がパレスチナに侵攻。ユダヤ人捕虜3万人をバビロニアに連れ帰った。ユダヤ人はバビロニア転覆をたくらみ、ペルシャのキュロス王がバビロニアに侵攻した際に、城門を開けてキュロス王の侵攻を手助けした(紀元前539年)。バビロニア帝国は滅んだ。ユダヤ人は一部がパレスチナに帰り、一部がバビロンに残り、一部はペルシャに移住した。
ペルシャの王がアハシュエロス(紀元前486-465年在位)だった頃、ハマンという非ユダヤ人が宰相だった。ハマンは国内で増長するユダヤ人の征伐を王に相談したが、王の妃であるエステルはユダヤ人であり、逆にハマンが処刑されてしまった。王は、ユダヤ人が自分たちの命を守るために彼らを襲うかもしれない民や軍隊を女子供も含めて殺害し根絶やしにする許可を与え、貨財を略奪することも許した。ユダヤ人は非ユダヤ人を虐殺し、ペルシャ帝国は弱体化した。この話が旧約聖書のエステル記となり、プリム祭の起源となった。紀元前334年以降、アレキサンダー大王に侵攻され、ペルシャ帝国は滅んだ。
ユリウス・カエサルは選挙に勝つためにユダヤ人に迎合し多くの見返りを与えた(徴兵免除、黄金を国外に持ち出すことを許可など)ため、元老院議員たちに殺された(紀元前44年)。
カエサルの後、アウグストゥス帝が後を継いだが、ユダヤ人だけの特権を回復させた。
ヨハネはパリサイ人(ユダヤ人)を「マムシの子孫ども」(マタイ伝3章7節)と呼んで批判した。イエス・キリストはユダヤ人を「サタンのシナゴーグ」と呼び、「あなた方ユダヤ人が悪魔より生まれたことを私は知っている」とユダヤ人に語った。ユダヤ人批判が憎まれ、キリストは磔刑にかかった。(20年頃?)
59年10月、キケロがユダヤ人の黄金持ち出し特権を禁止しようとした前アジア総督フラックスを弁護するために演説を行った。しかし結局禁止令は解除された。
歴史家ディオドロス(紀元前1世紀ごろの人)の言葉、「あらゆる民族のなかでただユダヤ人のみは、他のどのような民族ともうまくやっていくことをことごとく拒絶し、他のすべての人間を敵とみなしている」。
歴史家タキトゥス(55-120年頃)の言葉、「ユダヤ人の習慣は卑しく忌まわしく、ユダヤ人がその習慣に固執するのは、彼らが腐敗堕落しているからである。ユダヤ人はユダヤ同士では極端に忠実であり、いつでも同情を示す用意ができているが、異民族に対しては憎悪と敵意しか感じない。民族として激しやすい。ユダヤ人のなかでは、非合法なものはなにもない」。
ローマ皇帝ティトゥスがユダヤ人に対する軍事行動を起こす(70年)。
315年、ローマ帝国で皇帝コンスタンティヌスがユダヤ人排撃の勅令を出す。この勅令はユダヤ人が非ユダヤ人に割礼を施すことが禁じ、ユダヤ独自の同族内処罰制度を禁じた(ユダヤ人はローマの法律は自分たちには及ばないと考えていた)。ユダヤ人はコンスタンティヌス帝をローマから追い出した。コンスタンティヌス帝はコンスタンチノープルへ行き、ビザンチン帝国を建設した。
東ローマ帝国(ビザンチン帝国)が建国される(330年)。1453年まで続いた。東ローマ帝国では、ユダヤ人が行政的な地位に就くこと、青少年を教育することが禁じられていた。アメリカの詩人エズラ・パウンド(1885-1972)はビザンチン文明の研究に取り組み、ユダヤ問題の解決について、彼らを銀行・教育・政府から締め出せばよいと語った。
833年、イスラム教徒がユダヤ人が医者になることを禁じた。
イギリスのリンカーンという街でヒュー・オブ・リンカーンという少年がユダヤ人の儀式殺人の犠牲となった(1255年)。慰霊のため大聖堂が建てられ、この顛末がジェフリー・チョーサーという作家の「女子修道院物語」に掲載されている。
1066年、スペインのグラナダで少年を殺して血を飲み、心臓を食べた嫌疑でユダヤ人追放。
1254年、フランス国民はユダヤ人を追放した。
1283年と1298年、ドイツ国民はユダヤ人を追放した。
1290年10月、イギリスからユダヤ人が追放された。その後300年間、ユダヤ人はイギリスから締め出されていた。
1306年、フィリップ4世がフランスからユダヤ人を追放した。ユダヤ人医師の診察に関するスキャンダルが原因という説あり。
1335年サラマンカの最高教会会議は「ユダヤ人が医者になるのは、ただただキリスト教徒を殺す機会を得たいため」と結論した。
1394年、フランス国王が再びユダヤ人追放。
イタリア北部のトレントでシモーネという2歳の少年がユダヤ人の儀式殺人の犠牲となった(1472年)。アルバン・バトラー神父の「聖人たちの生涯」という著作にこの顛末が掲載されている。ユダヤ儀式殺人の犠牲者を記念して建てられた教会はヨーロッパだけで400あるとユースタス・マリンズは書いている。
1492年、スペインがユダヤ人追放。
1496年、ポルトガルがユダヤ人追放。
1543年、ドイツでマルチン・ルターが「ユダヤ人と彼らの嘘について」を出版。
1640年頃、クロムウェルの清教徒革命を利用してユダヤ人がイギリスに戻ってきた。クロムウェルの副官ゴードン少佐は国語をヘブライ語とする決議案を議会に提出したが否決された。クロムウェルと彼に味方するユダヤ人グループが残忍だったため、イギリス国民は反乱を起こし、チャールズ2世を復位させた。国民はチャールズ2世にユダヤ人再追放を要求したが、チャールズ2世は拒否した。
1655年、スウェーデンのカール10世がポーランド侵攻。ポーランドのユダヤ人がカール10世にポーランド防衛に関する情報を与えて、手引をした。その後、ポーランドの愛国者ステフェン・ツァルニエキーが反乱を起こし、カール10世を追い払った。ポーランド人はユダヤ人を襲撃し、裏切りの報復として30万人を虐殺した。
1694年、イギリスのウィリアム公はユダヤ人商人からお金を借りたが、その条件として債務相当分の銀行券の発行を許可させられた(イングランド銀行設立)。ユダヤ人は貨幣の鋳造、紙幣の印刷の権利を手に入れた。
1697年においてロンドン証券取引所の124の会員席のうち、12席はユダヤ人に永久に保証されていた。
1723年、イギリスの国王ジョージ1世はユダヤ人をイギリス臣民であると承認した。
1753年、イギリスの国王ジョージ2世はユダヤ人が生まれながらのイギリス臣民であることを許す「帰化法」を通過させたが、イギリス人の反発にあって廃止した。
1764年、フランスの哲学者ヴォルテールは哲学辞典のなかで、ユダヤ人について次のように書いている。「ユダヤ人とは無知で野蛮な民族である。彼らは長きにわたってもっとも浅ましい強欲さを、もっとも憎むべき迷信と、ユダヤ人に寛容を施し富裕にしてくれたあらゆる民族に対するもっとも消し難い憎悪とに結びつけてきたのである」。
1798年、ヘルヴェテイア共和国(スイス)でユダヤ人に平等な権利を付与すべきか論議されたが、与えないこととなった。
1806年、神聖ローマ帝国(ドイツ)のヘッセン選帝侯が初代ロスチャイルドに資金運用を託す。
1808年、フランスでナポレオンがユダヤ人の活動を制限する勅令を出す。
1815年、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗北。ロスチャイルドは反ナポレオン連合軍に貸付を保証していた。初代ロスチャイルドは、ロンドン証券取引所にナポレオンが勝ったという嘘の情報を流して、市場を暴落させたところで買い漁り、大儲けした。ウィーン会議でユダヤ人に平等の権利が保証され、ユダヤ人は政府の役職や教育職などに進出するようになった。
1848年、ユダヤ人カール・マルクスが共産党宣言を出版した。
1868年、イギリスでユダヤ人のディズレーリが首相に就任。
ドイツの経済学者ヴェルナー・ゾンバルト(1863-1941年)の言葉、「戦争はユダヤ人の刈り入れ時」。
1917年、イギリスのバルフォア卿がユダヤ人化学者が開発した毒ガスの使用権と引き換えに、シオニズム運動を支援することを約束する手紙をライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に出した。
1919年、パリ講和会議でフランスの政治家ゴダン・ド・ヴィランは次の演説をした。「ロシア革命と1914-1918の大戦は、全世界的な金融勢力が最高度に動員された局面にすぎません。そしてこの、『十字架』に対する『金』の最終十字運動は、我々の世界を支配しようとするユダヤのすさまじい願望にほかなりません。ロシア革命を醸成してきたのはユダヤの銀行家です。先日のハンガリーの共産主義クーデターも同様です。ボルシェビキ運動はタルムードの教えに基づく反乱にほかなりません」。
詩人エズラ・パウンド(1885-1972)は「世界を第二次大戦の恐怖に陥れたのはユダヤである」と批判した。
反ユダヤの立場だった、チャールズ・リンドバーグの息子が殺される(1932年3月1日)。リンドバーグの父は連邦準備制度法に反対する書籍を刊行したが発禁処分にされた。
ユダヤ人国家イスラエルが建国される(1948年)。
1955年10月、シカゴで複数の白人の子供が殺された。死体は裸であったものの性的暴行の痕跡はなく、遺体にはキリストが十字架に架けられて槍で刺されたのと同じ箇所に刺し傷があった。デイリーニュース紙がこの刺し傷の位置を図解入りで夕刊に載せたが、すぐに新聞は回収された。殺害された少年の父、アーノルド・シュッスラーは「ユダヤ儀式殺人」という本を読み、警察に儀式殺人ではないかと問いただした。シュッスラーは逆に自分の息子を殺害したと告訴され、警察本部に連れられ、嘘発見器にかけられた。その後、警察はシュッスラーをステインフェルドというユダヤ人医師に引き渡した。シュッスラーは電気ショック療法を施され、死亡した。ステインフェルド医師は「ユダヤ儀式殺人センターを運営しているとして批判され、スイスに逃亡し、スイスのホテルで縊死したとされる。
関連リンク:JEWISH RITUAL MURDER – CHICAGO, 1955
1956年、「ユダヤ儀式殺人」の著者であったアーノルド・リースが突然死亡した。彼はユダヤ儀式殺人が疑われるシュッスラー事件の本を書こうとしていた。遺品から、彼が集めた資料は消え失せていた。
ジェームズ・E・バルジャー神父の推計によれば、過去2000年で600万人の非ユダヤ人の子供が儀式殺人の犠牲となった。
フランス革命やロシア革命、第二次世界大戦後の事例についてまだ書いていないが、きりがないのでやめた。
こうした事例を知ると、今現在、再びユダヤ人の中の過激派とその仲間が西欧社会を内側から破壊していることに既視感を覚える。
コメント
おはようございます。
大分前の記事ですがコメントします。此処に書かれたような認識は、永く猶太研究をして来られた方には殆ど常識という事柄ですが、多くの日本人は恐らくこの手の知識ゼロでしょう。殆んどの人が本質的にはユダヤの㋴の字も知らない。戦前には猶太に付いて警告を発した愛宕北山、四王天延孝中将の様な方も居られましたが、特に戦後は占領軍に依りこの手の知識は封印され、タブー視されて来ましたから知らないのは当然です。然し此れが日本国の精神的な無防備の根因です。1970年代の後半には久保田政男氏の本なども出版されましたが、読者の数は多くは無かったと思います。猶太に取って、「シオン長老の議定書」は、アハド・ハームに依り書かれた現在も通用する指針です。この本は本物である以外の何物でもありません。世界も日本も、永く遣られっ放しという状態でしたが、2021年以降段々に風向きに変化が出て来たと認識して居ます。ではまた・・・、暑さに負けずお元気でお過ごし下さい。魯鈍斎
コメントありがとうございます。
欧米の支配層に対する不満は鬱積する一方であり(選挙で野党が勝っても与党が勝ってもイスラエルに忠誠を誓った候補者・・)、いつかはユダヤ系に対する憎しみが暴力となって噴出するところまでいくのか、それともいい感じで折り合いがつくのか、それとも非ユダヤ系は諦めと不満を抱えながら生きていくのか、考えてしまいます。