掛谷英紀氏が大紀元に書いているコラムが面白い。
掛谷氏は、左翼運動はさまざまな種類の人間の複合体だとし、その構成員を3つに分類している。
1.中核層
自らが属する社会を憎み、それを破壊することを目指す人たち。見せかけの理想を掲げて活動を興し、その活動が社会の破壊に結びつくよう巧みに制御する。良心は無いが知的レベルは高い。
2.利権層
中核層に従うことで、活動資金や仕事(テレビ出演など)を得ることが目的の人たち。
3.浮動層
中核層が掲げた理想に共感する人たち。正義感に基づいて行動するが、いい人と思われたいという虚栄心があることも多い。知識を身に着けると、騙されたと気づいて活動から去る。
また、中核層と利権層は不正直で頭のいい人であり、浮動層は正直で頭の悪い人である、とも書いている。
私は概ねこの分類に賛成だが、左翼の浮動層には、右翼の浮動層にない決定的な特徴があると思う。
右翼の浮動層も、何らかの理想に共感し、正義感に基づいて行動する正直な人たちである。頭がいい人もいれば、悪い人もいるだろう。
では何が左翼と右翼を分けるか?それは被害者意識であると思う。右翼(保守層)には被害者意識は少ない。
しかし、共産党や立憲民主党、山本太郎を支持しているような人たちをツイッターで観察すると、彼らが被害者意識に侵されている点に気がつく。
彼らはニュースを読むたびに、自分たちが被害者であることを再認識して、怒り、絶望している。自分たちがさらなる悲惨な被害者の立場に置かれる未来を(勝手に)想像して、恐怖している。
税金が上がれば、自分たちの被害者性を認識し、一部の人の成功を見ればまた自分たちの被害者性を認識してしまう。世の中にある不完全性を認識すれば、また被害者性を認識してしまう(例:○○への対応が不完全なのは、現政権が悪いから。私達は現政権の被害者)。
こうした思考の習慣を続けるうちに、彼らは自分たちが被害者であることを補強する情報にばかり反応し、さらなる深みにはまってしまう。
一方で左翼中核層や利権層は、被害者意識を持っていない。彼らは馬鹿ではないので、自分たちが特別になにかの被害者であるという妄想にとらわれてはいない。ただ、彼らは被害者性を武器として使う。
その主張が論理的であるかないかに関わらず、被害者性を主張することは現代の論争においては、一定の効果を持つ。
そして上述したように左翼浮動層は、被害者意識に浸っているので、中核層・利権層が被害者性を主張することは左翼浮動層の共感・支持を集めることにつながり、一石二鳥となる。
左翼浮動層の人がその思考ルーチンから脱却するためには、被害者意識を捨て、自主性や自分の立場に対する客観性を取り戻すことが重要だと思う。