予知・予言を外した予言者にはなんらかの社会的不利益を与えたほうがよい

世の中には無責任な予知・予言があふれている。彼らはあいまいに未来を予言するが、外れても何ら社会的制裁は受けない。予言の文言は曖昧でどうとでも受け取れるので、当たりやすく、当たったもののみが注目され、賞賛される。

このようなありかたは不健康だ。外した予言は等閑視され、当たったように見える予言だけが注目されるのだから、ノーリスク・ハイリターンな状況にある。

最近では昔出版された漫画「私が見た未来(たつき諒)」がアマゾンでランキング上位に入っていた。この漫画は、もともと1999年に出版されたが、表紙絵に「大災害は2011年3月」と書かれていたことから、内容が注目されるようになった。

この「大災害は2011年3月」という予知は、インドでサイババ師に会った後、見た夢で得られた直感なのだそうだ。もしかしたら、サイババ師に接見した恩寵で直感能力が研ぎ澄まされたのかもしれない。

※作者は、サイババに会いに行った際に、過去生で私はサイババとイギリスで親子だったことがあると直感したそうだが、さすがにそれは勘違いの可能性が高いだろう。サティア・サイババは、前世はシルディ・サイババとしてインドで生きていたと本人が公言しているから・・。

それで、この漫画のハイライトは、実は日本と関係のある大災害は2011年3月のもので終わりではなく、もっと巨大なものがこれから起こると書かれている点にある。それはインドに行っている時に見た大災害の夢から得られた直感で、日本とフィリピンの中間あたりの海底が破裂(噴火)し、大津波が起こるというもので、これが起こる時期は2025年7月だというのだ。

この人の予知のパターンは、夢で見たことを記録しておいて、それが後日、本当に起きたから、後から振り返って予知夢だっとわかるというものだ。かつて、フレディ・マーキュリーが亡くなる夢を見て、その五年後に実際にフレディが亡くなり、予知夢だったと驚くシーンが漫画内にあるが、フレディは人間だから、いつか死ぬのは当然であり、予知夢だったという解釈は強引だ。

膨大な夢日記の中の予知夢予備群にはまったく空振りに終わったものもあるだろうから、そうしたものもきちんと紹介するべきだ。当たったものだけクローズアップするのはずるい。

2025年7月に大災害が起こるという本人の主張には、「そういう夢を見た」ということ以外に根拠はないが、外れたらどうするつもりなのだろうか?これを真に受けて、大金をかけて海沿いから引っ越したとしても、金銭的補償はないのだ。著者は善意から、災害に備えてもらうために作品を再度出版することにしたようだが、予知が外れた場合は、善意が逆に不利益をもたらすのである。動機がよくても、この出版行為がよいものとは思えない。

他にも無責任なかたちで未来予知を語る人物は多くいる。

たとえば、はろーふろむロングビーチというユーチューブチャンネルは、ジョセフ・ティテルやクレイグ・ハミルトン・パーカーら、英語圏のサイキック(?)の予知を紹介している。

不思議探偵社というサイトは、数々の予知ができる人からの予知を投稿させている。

これらでは、外れてもおとがめなし、当たったら大賞賛なので、自称サイキック・予知者は言いっ放しで、外れても特段釈明をしていない。

このありかたはあまりに無責任なので、本人や紹介者(サイト管理者)は外れた予言にも言及し、なんらかの不利益を外した予知者に与えるか、釈明・謝罪させるべきだ。また、統計的に当たって当然な予知や、曖昧すぎて当たったと解釈しやすい予言は、排除するべきだ。

インド占星術を元にした予測をするアビギャという人は、今の時期(2021/12から2022/3まで)は、占星術的には「隠れていたものがあらわになる時期」だと述べていたが、いつの時代もどこかで何か隠れていたものがあらわになっているので、この託宣は当たって当然だ。100%当たる予知である。

また、本当に霊的に優れた人は、予知や予言を述べたりはしない。述べたとしても、公にはせず、少数の人に打ち明けるくらいだろう。予知や予言を商売にする人は、「霊的に高い人」ということはないのだ。多くの聖賢は何が起きても神に預けて、心を平静に保つようにと言っている。

だから、オカルト好きな人やスピリチュアル好きな人は、予知・予言をする人には近寄らないほうがよい。