ユダヤ教のタルムードにどんなことが書かれているのか、カトリック神学者であり、ヘブライ学者でもあるI・B・プラナイティス神父が調べ、1892年に出版した(「仮面を剥がされたタルムード」)。
この記事は、プラナイティス氏が出版した本の中から、一部を抜粋したものである。タルムードは、この記事で紹介されるキリスト教徒に関することだけでなく様々な内容を含んでいる。また、時代に応じてユダヤ教のラビが注釈などを書き加え、不要な部分を割愛しているので、大昔から不変の内容を保っているわけではない。
プラナイティス神父がタルムードの内容を暴露する本を出版しようとしたのは、多くの非ユダヤ人がタルムードに何が書かれているか知りたがっていたのにかかわらず、その内容が公開されていなかったからだ。当時のユダヤ人は、ユダヤ教は世界で最も寛容であり、キリスト教徒への愛と尊敬を繰り返し教え、キリスト教徒に対しいかなる敵意も抱いていないと主張していた。しかし当然、ユダヤ人の言説や行動、態度からそれらは信じられていなかった。
プラナイティス神父はタルムードの内容の公開、翻訳の仕事をなすことで殺害予告を受けていたが、真理を証言するためにこの仕事を成し遂げた。
この本が書かれたのは1892年であり、大昔ではないことに注意されたい。現代に生きる我々ゴイム(※異教徒)にとって気になるのは、現代のタルムードの内容はどのようになっているのか、現代のユダヤ人はこれらの教えをどう思っているのかということである。
第一部 キリスト教徒に関するタルムードの教え
第1章 タルムードの中のイエス・キリスト
1.キリストはタルムードにおいてどのように呼ばれているか
「あの男」「あいつ」「大工の息子」「吊るされた者」など
略称としてジェシューも使われる。これはImmach SCHemo Vezikro(彼の名とその記憶が消え去りますように)の三語の初めの綴りをつなぎ合わせたものである。
2.タルムードではキリストの生涯をどのように紹介しているか
イエス・キリストは私生児で、生理中に受胎し、エサウ(Esau)の魂を持ち、また彼は馬鹿で、呪師で、誘惑者である。そして、十字架につけられ、地獄に埋められ、死後、彼の弟子たちにより偶像として祭り上げられた。
3.タルムードはキリスト教徒について何を教えているか
ユダヤ人たちは、キリスト教徒を偶像崇拝者、最も悪い種類の人間、トルコ人よりずっと悪い者、殺人者、未成年の情交者、淫らな動物、ごみの様なもの、人間と呼ばれるに値しない者、人間の形をしたけだもの、けだものの名で呼ばれるべき者、雌牛、ロバ、豚、犬、犬にも劣るもの、だと言う。他に、キリスト教徒は、けだものをまねて繁殖する、彼等は悪魔から生まれた、キリスト教徒は死体ですら動物の死体と何ら異なることはない等とも言っている。
第二部 キリスト教徒に関するタルムードの戒め
第1章 キリスト教徒は忌避されねばならない
次の理由でユダヤ人はキリスト教徒との接触を避けることを義務付けられている。
- 彼等がユダヤ式の生活様式に参加するに値しない故に。
- 彼等が不浄であるが故に。
- 彼等が偶像崇拝者であるが故に。
- 彼等が殺人者であるが故に。
キリスト教徒をどのように忌避するか?
- ユダヤ人はキリスト教徒に会釈してはならない
- ユダヤ人はキリスト教徒にあいさつを返してはならない
- ユダヤ人はキリスト教徒の裁判官の前へ行ってはならない
- キリスト教徒は証人として利用される事はできない
- ユダヤ人はキリスト教徒の食べ物を食べてはいけない
- ユダヤ人はどんなことがあっても絶対にキリスト教徒であるかの如く振る舞ってはいけない
ユダヤ人はキリスト教徒が提供する下記のサービスを受けてはならない
- 乳母(キリスト教徒のミルクは子供の心を非情にし、子供の中に邪悪な性格を形作ることになるから)
- 教師
- 医師(ただしユダヤ人患者が死ぬことが確実な場合は見てもらってもよい)
- 理髪師
- 産科医(外国人の女はユダヤ人の赤子を殺害するから。他にユダヤ人の女性がいる場合は外国人の女性がいてもよい)
閑話休題.包茎は悪魔の証拠?
キリスト教徒が悪魔の人種であるという事を証明するために、ユダヤ人によって最もよく用いられる論法がキリスト教徒が割礼を受けないという事実である。割礼によって神の名(シャダイ)は割礼を受けたユダヤ人の肉体の中に成就される。
第2章 タルムードはキリスト教徒は絶滅されなければならないと教える
- キリスト教徒に善行を施してはならない(ただしイスラエルを助けることになる場合は可。またキリスト教徒に対する憎悪を隠すためにするのも可)
- キリスト教徒を称賛することは許されない
- キリスト教徒の偶像は軽蔑をもって話されるべきである
- イエスはJeschuと呼ばれる。これは「彼の名と記憶が消し去られますように」の意。
- マリアはChariaと呼ばれる。家畜のふん、大便の意。
- 日曜日は災難の日と呼ばれる。
- クリスマスはNitalと呼ばれる。虐殺の意。
- キリスト教の教会は虚栄の家、悪魔の家と呼ばれる。
- キリスト教徒の犠牲は糞の供え物と呼ばれる。
- ユダヤ人がキリスト教徒に贈り物をすることは許されない(お返しに何かもらえる事が予想される場合には可)
- ユダヤ人は自らの農場をキリスト教徒に売る事を禁じられている。
- キリスト教徒に取り引きを教えることは禁止されている。
キリスト教徒の仕事には損害が与えられねばならない
- キリスト教徒がユダヤ人に対して支払い過ぎたとしてもその事は教えられるべきではない
- キリスト教徒の失われた財産は彼等に返還されてはならない
- キリスト教徒はだまされてもさしつかえない
- ユダヤ人はキリスト教徒をだますためにキリスト教徒のふりをしてもさしつかえない
- ユダヤ人はキリスト教徒に対して、高利貸しをすることが許されている
キリスト教徒は法的な事柄によって危害を与えられねばならない
ユダヤ人はキリスト教徒を有罪とするために、嘘をつき偽証をしてもさしつかえない。
ユダヤ人ははっきりとした意識をもって偽証をなすことが許されている。
キリスト教徒は生活に必要なものに損害を与えられねばならない
- ユダヤ人は常にキリスト教徒をだまそうと努めねばならない
- 病気のキリスト教徒は援助されてはならない
- キリスト教徒の女性は出産に際し手助けされてはならない
- 死にかけているキリスト教徒は助けられてはならない(具体的なアドバイス:もしあなたがモーゼ五書を信じない異教徒が中にはしごが掛けてある井戸に落ちるのを見た時には急いで行ってはしごを取り去り、次のように彼に言えばよい。「私は行って私の息子を屋根から降ろさねばならない。だからすぐにはしごは持ち帰るから」とかいった類のことを)
キリスト教徒は殺されねばならない
一、最後に、タルムードは、キリスト教徒は無慈悲に殺さねばならないと命じる。
異教徒、裏切り者、背教者らは、井戸に投げ込まねばならぬ。
スパイは今でも発見された場所で殺されねばならぬ。罪を認める前であっても殺されてもよいのだ。彼が与えようとしていた害がほんの小さなことだとしても、彼に死刑がくだされるのがふさわしい。
イスラエルの律法を研究していることがわかったキリスト教徒でさえ死に値する(注:この本を書いた著者はロシアのボリシェヴィキ革命の際に共産党によって虐殺された。生前に殺害予告を受けていた。チャリニ教授という人がタルムードの翻訳を試みたが、やはり殺された)。
二、洗礼を受けたユダヤ人は、死なねばならない。
三、君主達とりわけローマの君主(教皇)は殺されねばならない。
四、最後に彼等(ゴイム)最良の部分を含む、すべてのキリスト教徒は殺されねばならない。
五、キリスト教徒を殺したユダヤ人は、罪を犯してはいない。かえって喜ばれる犠牲を神にささげるのである。
六、エルサレムの神殿破壊後の唯一のなくてはならないいけにえは、キリスト教徒の根絶である。
七、キリスト教徒を殺す者たちは、天国で高い位を獲得する。
八、ユダヤ人はゴイム絶滅をやめてはならない。彼等を平和にしておいてはならない。彼等に服従してはならない。
九、全てのユダヤ人たちは彼らの中の反逆者を抹殺するために互いに一つに結び合う義務を負わされている。
十、どんなに荘厳な祭りでも、キリスト教徒の、首を切ることを妨げてはならない。
十一、ユダヤ人の全ての行動と祈りのただ一つの目的は、キリスト教徒を破壊することでなければならない。
十二、その祈りの中で、ユダヤ人は復讐に燃えるメシヤの到来を待ちこがれる、とりわけ、過ぎ越しの祭りの前夜には。(※ユダヤ人がキリスト教徒の子供をさらって殺すのは、この過ぎ越し祭の時期にもっとも行われやすいと過去のキリスト教徒たちは警戒していた)
おまけ:儀式殺人についてタルムードに記載はあるのか?
ユダヤ教から改宗したネオフィテという人物が1803年にモルダイ語で書いた本に儀式殺人について言及があるようだ。その内容をモニオが著書に引用抜粋した(「ユダヤ人の儀式殺人」1914年出版)。曰く、
ユダヤ教は、その書物ではわからない、ユダヤ人がその血を様々な目的の為に得ようとキリスト教徒を殺すという事実の中に存する恐ろしい秘密を持っている。もし一人のユダヤ人が血を必要とするなら、彼は、切ってはならない。「穴をあけ、締り取れ」。食用としての血の使用は、ユダヤ人に禁じられているという見解は、全く誤りである。タルムードには、それと反対の指示があるからである。
ネオフィテによれば、これらの殺害には三つの目的がある。
まず第一に、彼らがキリスト教徒に対して感ずる法外な憎悪である。そしてこの憎悪は、そのような罪を犯すことによって、彼らが神への犠牲をささげるのだと彼らに信じさせるのである。
第二の理由は、魔術的潜在力があるとして、血について彼らが抱く迷信である。
最後に、イエス・キリストは本当のメシヤではなかったのだと断言することをためらうラビ達、彼らは、キリスト教徒の血を流せば彼らは救われるだろうと考えている。キリスト教徒の血を手に入れると、彼らはそれを様々な目的に使う。ラビたちは、それをユダヤ人がとてもよく罹る目や皮膚の病気の特効薬であると考える。血は、また、結婚式、割礼、埋葬に使用されるけれど、何よりもまず、種なしパンを作る時に使用される。この最後の目的のために、彼らは、過ぎ越し祭りの前に子供を誘拐し、監禁し、その血を取るために彼らを殺す。殺害は常に拷問が先行される。ユダヤ人たちは子供を突き刺す、彼らは、イエス・キリストを拷問しているのだと信じている。
最高の秘儀はラビ、すなわち学者やパリサイ派にのみ知られ、人々からは注意深く、隠されるが、その秘儀とは、こうしたキリスト教徒の血の使用という事なのである。死の床についた父親は、この秘儀を、厳重な秘密の誓いをたてさせて、その息子の一人に伝える。ネオフィテは言っている。この秘儀は、自分の父親によって自分に伝えられたもので、父親はネオフィテに、自分の兄弟にさえも決して漏らさぬよう、誓う事を強要した。
上記にあるように、儀式殺人についての教えは口伝だったようだ。