知性が試されるコロナウイルス問題

池田信夫氏は「コロナは錯覚のデパート」だとツイートしていたが、コロナウイルスを語る時、様々な錯覚に陥らないように注意しなければならない。

コロナウイルス問題の諸相について意見の不一致があるが、もう半年もすれば、誰が間違っていて、誰が正しかったがわかってくるだろう。

コロナウイルスに関して、知性が試される点を以下、挙げてみたい。

1.重要な指標は何なのか?感染者数なのか、死者数なのか?

感染者数の増加だけを見て、心配を募らせる人がいるが、病気について見る際に重要なのは感染者数ではなく、死者数だろう。

もし感染者数が重要なのであれば、風邪の感染者数の増減にも一喜一憂しなければならなくなる。しかし、風邪にかかってもたいてい軽症で済むから、誰も風邪に感染した人の数を心配したりしない。

2.日本は先行しているのか、遅行しているのか?

時に、人はこれから東京がニューヨークのようになると言う。

しかし、日本は中国人の入国制限をかなり遅らせていた国であり、明らかに日本の方が、欧米よりも先にコロナウイルスを中国から輸入している。

なのでこれから日本が欧米の後追いのように死者数を激増させると想定するのはおかしい。

3.コロナウイルスによる致死率は国によって同じなのか、違うのか?

少し調べればわかるが、コロナウイルスによる人口当たり死亡者数は大きく違う。

一方、BCGワクチンの接種を義務付けしていない国の100万人当たり死者数は(4/11時点)、

アメリカ 57

スペイン 344

イタリア 312

ドイツ 33

という風に日本と比べて10倍~300倍高い。

こういった統計を見ずに、コロナウイルスの日本にとっての危険性を語るのはおかしい。

4.経済を犠牲にしても死者が出ることを理解しているかどうか

できるだけ死者を少なくしたいという考えは理解できるが、コロナウイルス封じ込めのために、経済活動を禁止すると、それによっても自殺・行方不明等の死者が出る。

コロナウイルス封じ込めのためなら、どんな犠牲を払ってでもいいと考えるのはおかしい。

5.他の死因による死者数と、コロナウイルスによる予想される死者数の大きさを比較しているかどうか

日本では毎年100万人以上が死んでいる。癌で34万人、心疾患で18万人、脳血管疾患で12万人、肺炎で11万人である(平成21年のデータ)。

コロナウイルス対策にかけるコストは、上記の死因を防ぐためにかけているコストとバランスが取れているのか、考えないのはおかしい。

6.社会生活は一定の死亡リスクを受け入れて行われていることを理解しているかどうか

我々は、一定の確率で死亡することになる行為を許容している。自動車の運転、登山、飲酒、喫煙などなどである。

コロナウイルスによる死者がゼロにならないといけないと考えているとしたら、それは奇妙な思い込みである。

7.シュミレーションに使う数字は現実に適合しているか

コロナウイルス問題に関する未来を予測するために、R0(基本再生産数)や致死率を設定しなければならないが、それが過剰に大きくなっていないか、現実に適合したものなのかを精査しなければならない。

専門家が、日本とは状況が違う外国の数値をそのまま使っていることがある。

コメント

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