高コストなリスクゼロ志向に異議あり!

先日たまたま見かけたワイドショーで、「交通事故が起らないようにもっと政府に対策をしてほしい」という様な事を芸能人(坂上忍)が話していた。

さらに後日、通り魔殺人の後で、こうした事件が起きないように対策をしてほしいというネット上の意見を目にした。

世の中にある、ありとあらゆる危険・リスクを下げたいという気持ちはわかる。しかし、そうした努力がさまざまな事柄のコストを上げ、結果として社会全体から活力が下がっているようにも思え、私は諸対策に簡単には賛成する気になれない。

コストをほとんどかけずに何か事態がよくなるのなら賛成だが、自動車事故を減らそうとすれば、自動車にはさまざまな機能が付加される事になり、自動車の単価が上がってしまう。

自動車が歩道に乗り入れないようにあらゆる歩道と道路の境にガードレールを設置すれば、それもまたお金がかかってしまう。

不審者が悪さ(?)をしないように監視をするようになれば、それもまた様々なコストを生んでしまう。

難病を治療できるようにするために高価な薬剤にも保険を適用すれば、社会保険料は跳ね上がってしまう。日本社会のありとあらゆる人を落ちこぼれないようにしようとすれば、生活保護費などがたんまりかかってしまう。

今の日本には、リスク削減とそれにかかるコストを比較衡量する言説が足りていないのではないか?何らかの悪とされる事柄のリスクを減少できるのであれば、お金(=税金)はいくらかかってもよいという様な風潮になっているというか、多くのリスク削減政策は重税(高コスト)につながることが見逃されているのではないか?

危険でもいい、死んでもいい、けがしてもいい、ひどい目にあってもいい、そのかわり様々な事柄のコストを安くしてほしい!そんな意見もあっていいのではないか?

私は輪廻転生を信じているが、人は必ず死ぬのである。そしてまた生まれ変わってくるのである。*一回一回の生を重視して社会から活力を奪うより、社会全体のコストを軽めにして活気を保つのも、政策としてはありではないか?

社会にさまざまなリスクを抱える途上国の方が、雰囲気的に明るくて気楽な感じがすることが多いではないか。

*臨死体験経験者の談によれば、死後の生活(?)は現世より快適である。また、肉体が死ぬ前に魂は肉体から抜け出るので、死の瞬間の苦痛はそれほど感じずに済むようである。