大御所・小山ゆう氏の漫画においても繰り返されるステレオタイプ、日本人=悪玉、韓国・中国人=善玉・被害者という図式

小山ゆう氏といえば、現代の漫画界でトップクラスの大御所だ。古くは「頑張れ元気」「おーい竜馬」「あずみ」など数々の名作をものして、いまだに現役で漫画を描いている人だ。

その小山氏の最新作「雄飛」において、またしても、悪人は日本人で、「韓国人や中国人は被害者だったり、一見悪役だけれども実はいいやつ」というパターンが踏襲された。

2010年代にもなって、小山ゆう氏ほどの大御所であっても、このようなステレオタイプな設定を漫画に挿入しなければいけないのかと非常に残念であった。

簡単にあらすじを確認すると、主人公・雄飛は、敗戦時に大陸から引き揚げる際に、親を峻堂に殺される。日本で成長した雄飛は興行会社を立ち上げ、峻堂のライバル会社を圧倒していく。雄飛が邪魔な峻堂は、中国から殺し屋を呼び寄せて、雄飛たちを殺そうとたくらむ・・というものだ。

私はこの作品を読んでいて、殺し屋=悪人に中国人が配役されていることが嬉しかった。なぜなら、日本の漫画界において、朝鮮人や中国人を悪役にするのはタブーのようになっており、ほとんどそういった事例を見たことがなかったからだ。

しかし、コミックス15巻あたりからその流れは変わっていく。雄飛の盟友・勝太郎が突然、朝鮮人であることが明かされ、さらにその勝太郎に対して、日本人の育ての親(?)が強欲に金を貸せと言ってくるシーンが突如挿入される。

借金を断られた後↓

この挿話は物語のあらすじとは無関係で、あってもなくても「雄飛」という作品には影響が無いのだが、突然、挿入される。小山氏に対してなにか横槍があったのか、それとも小山氏が描きたくて描いたのか?いずれにせよ不自然だった。

さらに中国からやってきた冷酷な殺し屋グループは、雄飛の仲間を次々と殺していく。しかし、峻堂に雄飛を殺すように要求されると突然、善玉ぶりを発揮するのである。

殺し屋小燕が殺し稼業をするのは、日本兵が10代の中国人を戦争で殺したのを憎いと思って発心したからであり、同じ10代である雄飛を殺すことはできないと言うのである。

さりげなく日本人の戦争犯罪がアピールされ、いつの間にか、中国から来た殺し屋は心の清らかな被害者になっているのである。

そしてその小燕の返事を聞いた峻堂は、戦争でやった時のように犯してやると思い、実際に強姦して小燕を殺してしまう。悪人=日本人パターンの完成である(※主人公の善玉・雄飛も日本人ではあるが)。

私は当初、雄飛を読んで設定にリアリティがあり、面白いと思っていたが、このあたりの展開を読んでがっかりしてしまった。

もちろん全ての中国人や朝鮮人が悪人だったわけではないが、日本の出版物においてはいつもいつも、中国人や朝鮮人は善人または被害者として描かれるのである。このステレオタイプは、小山氏ほどの大御所には適用されないのかと思っていたが、見事に適用されており、暗い気持ちになった。

こういった日本人=悪玉設定のステレオタイプは、北野武監督のアウトレイジ3にも非常に強く出ていた。あの作品では、日本人ヤクザ=愚かで悪い奴ら、韓国人ヤクザ=善玉となっていて、非常に違和感があった。

日本人の中の自虐的な価値観は、漫画においても、映画においても設定に反映され踏襲されているのである。私たちはこの無意味な前提を捨て去り、ステレオタイプから自由にならねばならない。