デヴィッド・R・ホーキンズの「<わたし> ―真実と主観性」という本は、人がどのようにして悟りに到れるかを書いた本である。ホーキンズ自身も、高次の覚醒を経験していて、言わば科学を超えた真理を究めた人間の一人だ。
その著者が書いた「<わたし> ―真実と主観性」だが、Q&A形式になっており、質問者が現実的な質問も多く投げかけている。それに対して、ホーキンズも具体的で示唆に富む回答をしている。
この記事では、ホーキンズが語った、現実的な事柄のうち、2つの悪(ルシファーとサタン)の概念について紹介したい。というのも、これを理解すると現代社会の諸問題を理解するのに役に立つと思うからである。
以下、引用部分は青字。引用にあたって記号などは一部変更した。
見出しは私がつけた。見出しに合う内容を、書籍から抜き出して再構成した。
ルシファー的なものについて
極左派や極右派といった政治的過激主義は、きわめて不協和的であり、欺瞞的かつ破壊的な働きを持ちます。極左派は「ルシファー的」な政治的立場にあり、神を否定し、コンテント(内容/中身)を歪め、コンテクスト(文脈/状況)を無視し、法的強制力や訴訟によって力を行使します。また、言論の自由の本来の意味をねじ曲げ、侵害しています。彼らは、詭弁をふるい、曲解した理論や不完全な概念を主張し、社会を崩壊させようとします。自らの利のために、力を求めるのです。(略)
これ(サタン的エネルギー)に比べると目立たない挑戦や罠を仕掛ける、より高度で微妙なエネルギーもあります。それは、私達が端的に「ルシファー的」という言葉で表しているものです。ルシファー的エネルギーは、権力や支配欲、名声、富、特権、地位にまつわるもので、愛や慈悲、他者への思いやりを拒否する冷酷な計算も含まれます。こうしたエネルギーは、学界や官僚や実業界の一部に浸透し、人間的価値や生活の質が政治的経済的利益のために犠牲となります。(略)
ルシファー的エネルギーがよく使う武器は、真理を歪めることです。心を操り、でまかせの約束や半端な真理を利用します。心は、サタン的エネルギーに対してはシンプルな道徳観念さえあれば防御できますが、説得力のある歪曲された真理に対してはほとんど防御できません。(略)
ルシファー的エネルギーは、歪曲や誤解を広めることで真理のパワーを破壊することに長けています。また、コンテントを歪めたり、コンテント(内容/中身)を別のコンテクスト(文脈/状況)の中に移動させるなどの巧妙な手口で歪曲を行います。「終わったことをむしかえす」のもよく使う手口です。これは、コンテント(内容/中身)を別の時間に入れ替えることによって行います。これは、社会・政治的な策略の中によく見られることで、現代のモラルを過去の歴史的な出来事に投影して、「間違い」だとするやり方です。またこれは、臆面もなく政治団体が頻繁に使う手口で、遠い昔に社会がどのように機能していたかについて、現代人に罪悪感を抱かせる思惑で行うのです。
サタン的なものについて
一方、極右派の立脚点は「サタン的」とも言え、道徳の低下や暴力、犯罪、戦争、虐殺などといったネガティブなフォースを反映しています。(略)
サタン的エネルギーとは、異性や嗜癖、快楽、興奮など、昔から共通する誘惑にまつわるもので、殺戮や犯罪、戦争、殺人、その他、スリルを得るためのあらゆる行動が含まれます。最末端では、サタン的エネルギーは羨望や憎しみ、嫉妬、復讐心という形で表れ、それらはあらゆる部分に浸透し、世界を支配しています。(略)
サタン的なフォースが個人の意識に取りついた状態を、私達はデーモンと呼びます。連続殺人犯などがそうです。
長期的な観点からの極右と極左の害悪
長期的に見れば、極右的立場より極左派の政治的立場のほうがより危険と言えるでしょう。というのも、本来の意図を覆い隠した偽善的なレトリックで無知な民衆をそそのかし、抑圧と戦争と死を潜めたトロイの木馬を受け入れるように仕向けているからです。
誤った政治的立ち位置が犯す基本的な間違いは、コンテント(内容/中身)を歪曲すると同時に、コンテクスト(文脈/状況)を無視していることです。たとえ、コンテント(内容/中身)が理想的に聞こえたとしても、コンテクスト(文脈/状況)が変われば誤りに転じます。コンテクスト(文脈/状況)を無視すれば、理想主義的概念は、改善を試みた元の問題よりも破壊的な結末をもたらします。こうした理想主義は叡智には程遠い誤謬であり、叡智というものはコンテント(内容/中身)だけでなくコンテクスト(文脈/状況)をも含むものです。
ルシファー的な悪とサタン的な悪の相互作用
こうしたネガティブな過激主義(極左と極右)が合体すると、真理がルシファー的な作用によってねじ曲げられ、それがサタン的破壊力を誘発し、結果的に社会全体を崩壊させるのです。両派はともに、全体主義的なアプローチを取り、真偽を見分けられない民衆の心を取り込んでいきます。
戦争はどのようにして始まるか?
戦争の基本的構造は、単純で明快です。概して、前述と同じことが当てはまり、ルシファーがドアを開けて、サタンが入ってくるのです。
政治的イデオロギーは、根源的な感情を解放する舞台を用意します。「ペンは剣よりも強し」の通りです。派閥政治のイデオロギーは、レトリックや民衆煽動、喧伝者の説得力を使って支持を呼びかけます。(略)
政治的イデオロギーの歪曲は、昔から「ルシファー的」エネルギーと呼ばれるものから生じ、これは権力や支配、名声、利益を求めます。そして、愛国心や平和運動、政治的理想主義といった「羊の皮」の下に隠れています。(略)
トロイの木馬のように、戦争のドアを開けるのは政治的にナイーブな人々による正当化と確信であり、それが次に、隠されていた死と破壊という「サタン的」なエネルギーを放出させてしまうのです。したがって、戦争を防ぐためには早い段階でイデオロギー的な前奏曲を検出し、その本質的に誤った前提(バランスを欠いたデータの歪曲と、コンテクストに対する無知)を暴露することです。(略)
戦争への扉は、たいてい平和主義者が開きます。彼らは、良識を建前とした否定的な原理を、歪んだ構造の中に潜ませています。(略)詭弁は虚偽の平等主義を軸とし、コンテクストを無視しています。その結果、あらゆる社会層を混同しながら、誤った原理を主張しているのです。
ポリティカル・コレクトネスな人々の害悪
ここでもまた、彼らの犯す過ちはコンテクスト(文脈/状況)を無視することから発生しています。平等主義の立場でありながら、優越的な態度をとり、あたかもそれが高尚な道徳であるかのようにふるまうといった矛盾を抱えています。エリートたちは、政権獲得を試み、非現実的な理想論でもって他を支配しようとします。
彼らは必要以上に「政治的」であることを強調し、人間であることの現実の全体性を無視しています。人生における「政治的」な部分は一側面にすぎず、生存や精神的幸福の前では、二次的なものでしかありません。「極左」も「極右」もこうした政治的立場に立脚しており、共に同程度に全体主義を行使し、結果として少数派が大衆を支配するのが現状です。
学術界の偏り
また学術界は、ひどく偏った政治観を持っています。アイビーリーグの大学教授の94%は自由主義であり、残りのたった6%がいくらか保守的です。保守派の生徒は生徒会からも除外されています。したがって、実際には自由主義はその名称の真理を否定し、排他的で反動的です。彼らは密かに貴族的な立場を保っているのです。
以上、まとめ終わり。
デヴィッド・R・ホーキンズの指摘の優れた点
ホーキンズの指摘のすぐれた点は、と書くのもおこがましいが、ルシファー的なものに対する指摘だろう。
超簡単にいうと、ホーキンズのいうサタン的なものとは、「DQN」「粗暴犯」「ヤクザ」「殺人鬼」などの昔から存在するシンプルな悪徳だ。
一方で、ルシファー的なものとは「左翼」「共産主義」「マルクス主義」「ポリティカル・コレクトネス」等などに表れる悪徳だろう。
ホーキンズが指摘する通り、サタン的な悪徳は、通常の道徳観念で防ぐことができる。しかし、ルシファー的な悪徳は、経験を積まないと見破るのが難しい。
現代社会で見られるルシファー的な真理の歪曲は例えば下記のものだろう。
- 日本における憲法9条を素晴らしいものだとする考え(9条の内容自体は素晴らしいかもしれないが、近隣に侵略的な国家が存在するというコンテクストを無視している)
- アメリカがメキシコ国境との間に壁を築くことへの反対(世界の人々が国境の垣根なく平和に暮らせれば素晴らしいことだが、アメリカが国境に壁を築くことへの反対は、メキシコ国境から大量の麻薬が流入し、不法移民がアメリカで多くの犯罪を犯しているというコンテクストを無視している)
- 2018年に米国で見られたセクハラ騒動me too(性的に緩やかだった時代に行われたセクハラを今になって騒ぎ出した。コンテントを別の時間に入れ替えた)
- 「多様性」を称揚して移民受け入れを促す考え(多様性という概念は、自然環境においては素晴らしいものかもしれないが、単一国家において多様な人種が暮らすことが素晴らしいかどうかは証明されていない。半端な真理の利用である)
ホーキンズの知見をいかに現代社会に適用するか
ホーキンズが指摘するように、戦争はルシファー的な欺瞞から始まる。平和主義者が戦争への扉を開く。
少なくとも先進国では粗暴犯的な悪徳は減少している。なので、私達はルシファー的な悪徳、一見正しそうに見えるけれども、間違っている考えに対して敏感であるべきで、その欺瞞を欺瞞であると指摘する事が大切だろう。
最初に書いたとおり、ホーキンズの著作はいかに「世界の真理を経験するか」という科学を超越したものだ。そちらへ興味を持つ人も是非この本を読んでほしい。